濃尾平野
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池田山から望む濃尾平野の北側拡大
Clip 濃尾平野周辺

濃尾平野(のうびへいや)は、岐阜県美濃)南西部から愛知県尾張)北西部と三重県北部の一部にかけて広がる平野である。面積は約1,800km2[1]。西は伊吹山地養老山地、東は尾張丘陵、北は両白山地に囲まれ、南は伊勢湾に面する。南西部の木曽三川の河口付近で伊勢平野とつながっている。
地形濃尾平野周辺の地形図

濃尾平野は地質学的には木曽三川木曽川長良川揖斐川)と庄内川により形成された肥沃な土壌の沖積平野であり、その構造は上流側から順に扇状地自然堤防後背湿地三角州の3つに分類される[1][2][3]
扇状地帯.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}現在の扇状地付近の河川分布木曽川と庄内川の扇状地付近。木曽川扇状地扇頂の犬山城郷瀬川合流点と木津用水取水口の間で、般若川青木川などは旧派川を改修した河川。小牧市春日井市の東側は尾張丘陵に相当する。長良川扇状地付近。扇頂は金華山で、正木川早田川は長良川の派川(旧本川)跡。(着色部は岐阜市揖斐川および支川の扇状地付近。扇頂はそれぞれの渓口付近で、杭瀬川は揖斐川、犀川糸貫川根尾川津屋川牧田川の旧河道跡。 (着色部は大垣市

扇状地帯では木曽三川と庄内川、およびその支川による扇状地が組み合わさって広範囲に広がっている。

木曽川扇状地は濃尾平野では最大であり「犬山扇状地」とも呼ばれる[2][4]犬山城付近を扇頂とした約12kmの扇状地で[2][3]、扇端は一宮市岩倉市付近である[3]。扇状地上には木曽川本川や派川の旧河道跡が幾筋も存在しており、これら放射状に流れる本川・派川によって広大な扇状地を形成した[2][3][4]。濃尾平野の尾張国側の木曽川左岸を特に「尾張平野」とも呼ぶが、左岸側の派川は江戸時代に建造された御囲堤によって締め切られ、旧左岸派川は般若川青木川などに改修されるとともに宮田用水が整備された[5]

揖斐川では揖斐川本川と根尾川粕川相川などの支川の渓口を扇頂とした約10kmの扇状地を形成しており[1][2][6]、その扇端は神戸町北方町付近である[7]杭瀬川は揖斐川、犀川糸貫川などは根尾川の旧本川河道跡である。

長良川扇状地は金華山付近を扇頂とした約5?6kmの扇状地で[2][8]、扇端は鏡島大橋付近である[9]。木曽川や揖斐川と比較すると狭い扇状地であるものの、木曽川上流改修工事までは扇状地上で長良川は3筋に分かれて流れていた[10][11]。扇状地の西側には根尾川扇状地も迫っており、扇状地の縫合部は堪水が酷い地域であった[12]

尾張丘陵から流れる庄内川においては、岐阜・愛知県境付近の玉野渓谷を過ぎたあたりで濃尾平野に出るが、庄内川本川には一般的な扇状地はみられず、支川の内津川沿いに形成されているのみである[13][14]
自然堤防・後背湿地帯と三角州帯明治時代初期の輪中分布(緑が扇状地地域、黄が自然堤防・後背湿地地域、橙が三角州地域、赤が干拓地)日光川水系流域の海抜ゼロメートル地帯の分布

扇状地以下の地域では河川が運んだ砂などによって、氾濫原で河川が乱流すると自然堤防が形成され、河口部では徐々に陸地化が進行する傾向がある[3][15]。濃尾平野の縄文弥生時代海岸線は木曽川は古日光川(主要派川の二之枝川末端部、現在の三宅川から善太川に至る)筋で愛西市諸桑町付近、揖斐川筋で海津市南濃町庭田付近、庄内川筋で名古屋市中川区伏屋付近と現在よりかなり内陸側であったが[16][17]鎌倉時代頃には国道1号付近が海岸線となっていた[16]。それより南側の地域は江戸時代尾張藩長島藩などによって新田開発で干拓されたり[16][18]明治以降に干拓・埋め立てが行われたことで人工的に陸地化が進められた地域である[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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