澤部 元信(さわべ もとのぶ、1883年(明治16年)3月10日[1][2] - 没年不明[1])は、日本の政治家。茨城県下妻市長(2期)。お笑い芸人澤部佑の曽祖父[3][4]。 1903年(明治36年)明治法律学校を修了する[2]。1921年(大正10年)真壁郡下妻町会議員となる[2]。その後、1933年(昭和8年)と1939年(昭和14年)に下妻町長に就任[2]。町長は1943年(昭和18年)まで務めた[2]。 戦後、公職追放となり[5]、追放解除後の1952年(昭和27年)下妻町長に復帰する[2]。1954年(昭和29年)下妻町は真壁郡上妻村・結城郡総上村・豊加美村・筑波郡高道祖村を編入し、下妻市が発足、町長の澤部は初代市長となった[2]。澤部は市制施行の祝賀式典の挨拶で「下妻市は、県西における文化都市として、また周辺生産物の加工都市として、新規工業都市として発展し、将来、農工商の総合産業都市を目指す」と宣言した[2]。翌年から「市建設五か年事業」を発足させた[2]。 1955年(昭和30年)に市長を退任、4年後の1959年(昭和34年)に市長に復帰した[6]。2期目は市営住宅の建設、青年研修所の開所、市経済課の農政、商工の2課に分離、商工観光課の新設、区画整理事業の着手など[6]、新たな都市建設への土台づくりを始めた。 1964年秋の叙勲で勲五等双光旭日章を受章[7]。
来歴
脚注[脚注の使い方]^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』72頁。
^ a b c d e f g h i 『日本の歴代市長 第1巻』538頁。
^ “ハライチ・澤部佑、曽祖父は茨城県下妻市の初代市長だった”
表
話
編
歴
茨城県下妻市長
澤部元信1954-1955
横瀬花兄七1955-1959
澤部元信1959-1963
中山繁1963-1967
加藤俊介1967-1981
鳩貝充1981-1988
横島良市1988-1995
山中博1995-2002.3.19
小倉敏雄2002.4.14-2010.4.13
稲葉本治2010.4.14-2018.4.13
菊池博2018.4.14-
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