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澤 穂希
名前
愛称ホマ、ほーさん
カタカナサワ ホマレ
ラテン文字SAWA Homare
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1978-09-06) 1978年9月6日(44歳)
出身地 東京都府中市
身長165cm[1]
体重54kg[1]
選手情報
ポジションMF
利き足右足
ユース
府ロクサッカークラブ
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1991-1998 読売SCベレーザ
/ 読売JSCベレーザ / 読売西友ベレーザ
/ 読売ベレーザ 136 (79)
1999-2000 コロラド・デンバー・ダイヤモンズ
2000-2003 アトランタ・ビート 55 (13)
2004-2008 日テレ・ベレーザ 85 (47)
2009-2010 ワシントン・フリーダム 41 (6)
2009-2010 日テレ・ベレーザ 4 (2)
2011-2015 INAC神戸レオネッサ 94 (12)
代表歴
1993-2015 日本205 (83)
獲得メダル
女子サッカー
女子W杯
金2011 ドイツ
銀2015 カナダ
オリンピック
銀2012 ロンドン女子
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
澤 穂希(さわ ほまれ、1978年9月6日 - )は、東京都府中市出身の元女子サッカー選手である。元サッカー女子日本代表。ポジションはミッドフィールダー。アジア人史上初のバロンドール受賞者。
6度のW杯と4度の五輪に出場。2011年FIFA女子ワールドカップドイツ大会・得点王、MVP。日本女子代表史上、出場数・ゴール数歴代1位(205試合83得点)。 府中市立若松小学校 小学2年のとき、東京府中市にある「府ロクサッカークラブ」に兄とともに入団を希望した。女の子ということで入団を渋られるが、母の努力により仮入団となった。その後、地元の「狛江杯」で、コーチの勧めにより試合に出場し、いきなりゴールを決めた。このことは地元紙のニュースに取り上げられ、以後、正式に入団となった。また、チームメイトも澤を女の子として扱わなくなった。このころは練習も遊びも年上の男子ばかりであり、それが女子としては突出したキック力や技術が身に付いた理由だと本人が述べている。 中学に入学すると同時に、当時の日本代表が多く所属する強豪チーム読売サッカークラブ女子・ベレーザの下部組織であるメニーナに入団したが、当時の監督であった竹本一彦の判断で入団後わずか1か月でベレーザに引き上げられた[5]。本人は、「同じようにプレーできなかったことが悔しくて」と述べているが、そのため一人で毎日居残り練習を行い、結果として大きく実力が磨かれる。中学一年の夏、JLSL(現在のなでしこリーグの前身)に出場、3試合目に初ゴールを決めた。このあと日本代表に選出された[6]。
経歴・人物
日本代表になるまで
2011FIFA女子ワールドカップ優勝まで