潮見
町丁
JR潮見駅
潮見潮見の位置
北緯35度39分31.51秒 東経139度49分0.35秒 / 北緯35.6587528度 東経139.8167639度 / 35.6587528; 139.8167639
国 日本
都道府県 東京都
特別区 江東区
地域深川地域
面積
? 合計0.69km2
人口(2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
? 合計6,118人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号135-0052[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート足立
潮見(しおみ)は、東京都江東区の地名。現行行政地名は潮見一丁目および潮見二丁目。郵便番号は135-0052[2]。 東京都江東区の南部に位置し、深川地域に属する。隣接する地域は、北は塩浜、東は新砂、南は辰巳、西は枝川。町域全体が埋立地の人工島から成り立つ。町域の北辺を汐見運河、西辺を曙北運河 東京都港湾局発行の「東京港史」によると、「明治43年に着手した市内河川改修工事の浚渫土砂を使って、深川塩崎町・同浜園町の一部を埋め立て、…大正4年には深川枝川町1・2丁目、同10年には深川豊洲の一部、同13年には深川枝川町地先第8号埋立地(現在の潮見2丁目界隈)の工事を実施した。 第8号埋立地については、その後廃棄物処分場(現在の潮見1丁目界隈)として利用したため、昭和42年に竣工している。」とあり、「深川区深川枝川町地先第8号埋立地」という名称が歴史上「潮見」の最初の命名である。 住民が入植する前の、1960年(昭和35年)6月4日、隅田公園一角にあった廃品回収を生業とする「蟻の街」が、東京都江東区深川8号埋立地へ移転した。敷地面積は16000m2で、旧蟻の街の10倍であった。新蟻の街では、バタ車と呼ばれた手押し車や重労働であった梱包作業は姿を消し、トラックとベルトコンベヤによる全自動装置によるものに変わった。公衆浴場、児童公園、保育室などの福利厚生施設も建設されるなど、恵まれた社会環境が整備された。蟻の街教会はカトリック枝川教会となって小教区に認められ、現在はカトリック潮見教会と名称を変更している。埋立地「潮見」の成り立ちを物語る貴重な歴史の記録である。潮見教会の礼拝堂入口や教会のホームページにも、詳述が掲載されている。(詳細は項目「蟻の街」を参照) 1968年(昭和43年)2月30日、江東区はどこの区にも属さず正式な住所の無い「番外地」であった8号埋立地を編入した。その際、潮の香の漂う地の町名として「潮見」と名付けられた。 町に正式な居住が始まったのは、江東区編入より前の1967年(昭和42年)頃との記録もあるが、それ以前に居住がすでに始まっていたなどの住民証言もあり、諸説あるものと思われる。 昭和41年4月に「潮見1・2丁目町会」が設立されたと記録にはあるが、町会が今でも所有する住民から寄贈された太鼓には、それ以前より「自治会」が存在したことが窺うことのできる「潮見1・2丁目自治会」の名が刻まれている。 当時は東京湾最南端の埋立地(夢の島、若洲はこの後埋立が進むこととなる)であり、昭和42年の埋立竣工前までは都内廃棄物の最終処分場であったため、海運関係の倉庫街、鉄工所、造船所、清掃事業所などの典型的な準工業地区として町が成長していった。
目次
1 地理
2 歴史
2.1 8号埋立地造成と「潮見」命名の経緯
2.2 「蟻の街」移転と潮見教会設立
2.3 江東区編入と正式居住の開始
2.4 京葉線潮見駅開業と集合住宅の開発
3 世帯数と人口
4 小・中学校の学区
5 交通
5.1 鉄道
5.2 バス
5.3 道路・橋梁
6 施設
6.1 大型集合住宅
6.2 大型商業施設
6.3 飲食店
6.4 コンビニエンスストア
6.5 事業所など
6.6 撤退した事業所
6.7 その他の施設
7 脚注
8 外部リンク
地理
歴史
8号埋立地造成と「潮見」命名の経緯
「蟻の街」移転と潮見教会設立
江東区編入と正式居住の開始
京葉線潮見駅開業と集合住宅の開発
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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