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うしお けんじ
潮 健児
本名益戸 正雄 (ますど まさお)
別名義潮 建志・潮 建磁・泉 正夫
生年月日 (1925-03-23) 1925年3月23日
没年月日 (1993-09-19) 1993年9月19日(68歳没)
出生地 東京府荏原郡
死没地 神奈川県川崎市高津区
国籍
職業俳優
ジャンル映画・テレビドラマ
活動期間1945年 - 1993年
活動内容1945年、古川ロッパ一座入団
1947年、同上退団
1948年、新風ショー所属
1949年、太泉映画所属
1950年、映画デビュー
1974年:潮 建志に改名
1985年:潮 建磁に改名
1989年:潮 健児に戻す
著名な家族安藤三男(従兄弟)
主な作品
映画
『ファンキーハットの快男児シリーズ』
『網走番外地シリーズ』テレビドラマ
『悪魔くん』
『仮面ライダー』
『忍者キャプター』
『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』
『兄弟拳バイクロッサー』
潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日[1][2] - 1993年9月19日[1])は、日本の俳優。本名:益戸 正雄(ますど まさお)[1][2]。別名義:潮 健志・潮 健磁・泉 正夫[1]。
東京府荏原郡出身[1][2]。オノプロに所属していた[2]。 旧制 専修大学予科在学中に応召し、陸軍飛行学校に入る。太平洋戦争終結後の1945年に友人の紹介で古川ロッパの一座に入団するも[1]、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1947年に退団し[要出典]、専修大学専門部経済学科に通いながら、小劇団を転々とする[1]。 1949年、太泉映画と契約し、翌年『執行猶予』(佐分利信監督)で映画デビュー[1]。以来、太泉映画の後身である東映において長きに渡り、脇役として活動。千葉真一主演の『ファンキーハットの快男児シリーズ』でのコミカルで憎めない役柄や『極道』シリーズ(若山富三郎主演)。『網走番外地』シリーズ(高倉健主演、石井輝男監督)などの任侠映画や、今井正監督作品などに欠かせない個性的な名バイプレーヤーとして活躍した。特撮番組の『悪魔くん』のメフィスト弟(吉田義夫の代役)、『仮面ライダー』シリーズの地獄大使と暗闇大使を演じた。 『千葉真一とザ・サタンズ』のドラマーとして、九州巡業や東京のジャズ喫茶でライブを行い、その際には司会も兼務していた[3]。千葉はデビューしてから、潮に相談相手になってもらってもいた[4]。(⇒ 千葉真一#音楽・千葉真一#交友) 1993年の『第32回日本SF大会 DAICON6』にゲストとして招待されたが、出演する企画の前夜にホテルの部屋で倒れた。付き添いの唐沢俊一は止めるよう勧めたが、体調不良を隠して出演。暗黒星雲賞ゲスト部門を受賞した。本人も喜んでいたが、これが実質上「地獄大使の最後のステージ」となった[5]。 1993年9月19日 午前0時28分。肝硬変のため、神奈川県川崎市高津区の虎の門病院分院にて死去。68歳没。生涯独身だった。亡くなる2日前に、自伝『星を喰った男』の出版記念パーティーの会場にて車椅子姿で出席したのが最後の活動となった。 従兄弟に安藤三男[1]。鈴村展弘は、平山亨の紹介で一時期、潮の運転手を務めていた。
生涯
人物
略歴
1942年 古川ロッパ一座に入団(応召のため、正式入団は1945年)。泉 正夫と名乗る。
1947年 ロッパ一座を退団。潮 健児と改名。
1949年 太泉映画(現・東映)と契約。
1974年 潮 建志と改名。(「潮 健志」とクレジットされている場合もある)
1981年 潮 健児と二度目の改名。
1985年 潮 建磁と改名。
1989年 潮 健児と三度目の改名。
1993年 肝硬変により死去。生涯独身だった。
出演
映画
警視庁物語 白昼魔 (1957年)
らくだの馬さん
点と線 (1958年) - 駅員
月光仮面 幽霊党の逆襲 (1959年)
静かなる兇弾
多羅尾伴内 七つの顔の男だぜ (1960年) - 花井保夫
ファンキーハットの快男児シリーズ (1961年)