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漫画ブリッコ
ジャンル三流劇画→ロリコン漫画
読者対象青少年
刊行頻度月刊
発売国 日本
言語日本語
定価400円→500円
出版社セルフ出版→白夜書房
発行人東尾孝
編集人東尾孝
→大塚英志
→斎藤礼子
企画営業藤脇邦夫
刊行期間1982年9月 - 1985年12月
ウェブサイト ⇒漫画ブリッコの世界
特記事項後継誌は『漫画ホットミルク』
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『漫画ブリッコ』(まんがブリッコ)は、かつて白夜書房が発行していたロリコン漫画雑誌。『レモンピープル』と並ぶロリコン漫画誌の草分けであり、コアマガジン発行の漫画雑誌の源流にもあたる[1]。また誌上で「おたく」という言葉を生み出し、サブカルチャー雑誌として多くの才能を輩出したことでも知られた。
当初は三流劇画誌として1982年9月[2]に創刊されたが、1983年5月号から大塚英志と小形克宏を編集長に迎えた美少女まんが誌としてリニューアルされた。両者の降板後は、編集助手の斎藤O子が最後の編集長を務め、そのまま『漫画ホットミルク』へ移行した。 セルフ出版発行・日正堂
歴史
創刊
A5平綴じで、当初はあまり顧みられることのない三流劇画の名作を復刻収録することを主眼としたエロ劇画雑誌だった。初期の表紙は南伸坊が担当し、巻頭にはヌードグラビアが掲載され、内容は高橋春男の四コマと石井隆、羽中ルイ、中島史雄、富田茂などのアダルト劇画で占められ、『ジャストコミック』などからの再録も行われていた。なお、企画刊行には白夜書房の名物営業担当として知られる藤脇邦夫が関わっていた[4]。
路線変更大塚英志小形克宏
販売不振に悩み、半年後の1983年に編集長が東尾孝から大塚英志(読者コーナー等ではオーツカ某名義)と緒方源次郎(現・小形克宏。読者コーナーではおぐゎた名義。群雄社出版で『ロリコン大全集』『アリスくらぶ』『コレクター』の編集にも携わる)に代わり、5月号より「夢見る男の子のための美少女コミック誌!!」と銘打ち、表紙は南伸坊から谷口敬に交代。美少女コミック誌として唐突にリニューアルされる。この時点で『レモンピープル』に次いで、日本で2番目のロリコン漫画誌であった[5]。
ハードな絵柄の石井隆や富田茂などの連載を切り、よりソフトな飯田耕一郎、中田雅喜、火野妖子(堀内満里子)、五藤加純、沢木あかね、大原彩生を入れた。さらに洋森しのぶ(後のひろもりしのぶ・みやすのんき)や寄生虫(増田晴彦)のほか、藤原カムイなどの若手作家を発掘し、日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』に参加していた計奈恵、早坂未紀、森野うさぎ、豊島ゆーさくも新たに起用した。
一方で、6月号では中田雅喜の初登場と共に、岡崎京子の商業誌デビュー作『ひっばあじん倶楽部』が掲載され、続く7月号には白倉由美も初登場するなど、次第に女性作家の比率も上がっていく。
ショート枠では高橋春男、神保あつし等の四コマを切った代わりに、岡崎京子の独り言的なコーナーや中森明夫の「東京おとなクラブJr.」などを取り入れるなど、次第にカオスな誌面になっていく。同年11月号からは、表紙を少女漫画的な絵柄のかがみあきら(あぽ名義)に変更。劇画誌のイメージを払拭し、巻頭のヌードグラビアも廃止された。10月号に掲載された最後のグラビアは可愛かずみであった。結果、ロリコン漫画誌というよりは、後の美少女コミック誌へ近い形へ完全に姿を変えた。それによって人気が高まり、販売部数も上昇したが、読者層の半数は10代の女性だったという[6]。 この売り上げ増加により、2大ロリコン系漫画誌として『レモンピープル』と並び称されるようになった。 作家陣は専属ではなく、両誌で執筆していた作家もある。また、同人誌の紹介に注力していた『レモンピープル』とは対照的に、予算の都合から読者投稿欄を拡充し、イラストの投稿紹介などに力を入れ、優れた投稿者には漫画を描かせて掲載した[6]。掲載作品や読者投稿コーナーでは狂言回しとして編集者(オーツカ某、おぐゎた、斎藤O子)がそのキャラクターを露出することが多く、雑誌の特徴でもあった。また、岡崎京子、白倉由美、桜沢エリカなど、女性作家による独り言的なページも一つの特徴になっていた。 この時期に発行されていた『メロンCOMIC
2大ロリコン誌
「おたく」の誕生詳細は「おたく」を参照
1983年6月号から3回にわたり本誌上で、当時『東京おとなクラブ』の発行人だったコラムニストの中森明夫が「 ⇒『おたく』の研究」というコラムを連載した。