京畿道 漣川郡新炭里駅
位置
各種表記
ハングル:???
漢字:漣川郡
片仮名転写:ヨンチョン=グン
ローマ字転写 (RR):Yeoncheon-gun
統計(2023年)
面積:676.32 km2
総人口:41,584[1] 人
男子人口:21,776 人
女子人口:19,808 人
行政
国: 大韓民国
上位自治体:京畿道
下位行政区画:2邑8面
行政区域分類コード:31350
漣川郡の木:ナツメ
漣川郡の花:チョウセンレンギョウ
漣川郡の鳥:ハト
自治体公式サイト:漣川郡
漣川郡(ヨンチョンぐん)は、大韓民国京畿道の北部にある郡である。郡の西部から北西部にかけて軍事境界線が通っている。 楸哥嶺地溝帯
地理
歴史
百済 - 建国初期、北部変更地域にて靺鞨との軍事的衝突が起きた。
広開土王?長寿王時代 - 高句麗領となり、この時から工木達県となった。
553年(真興王14年) - 新羅に編入された。
757年(南北国時代新羅景徳王16年) - 行政体制改編で功城県に改名され、鐵城郡(鉄原)の属県となった。
940年(高麗太祖23年) - 州に昇格して?州に改名した。
1018年(高麗文宗23年) - 高麗の京畿近郊の3道から23郡県を編入しながら?州も開城府に編入され、京畿道に移った。
1310年(忠宣王元年)- 漣州に改名した。この時から漣川となった。
1413年(朝鮮太宗13年) - 県監を設置。
1414年(朝鮮太宗14年) - 麻田県と合併されて麻漣県となったが再度分割された。
1895年旧暦閏5月1日(新暦6月23日) - 漢城府漣川郡に改編。[3]
1896年8月4日 - 京畿道漣川郡に改編。[4]
1906年 - 江原道鉄原郡官仁面を編入。
1914年
2月25日 - 北面を中面に改称。[5]
4月1日 - 郡面併合により、麻田郡・積城郡の全域、朔寧郡の郡内面・西面・南面・東面・楊州郡嶺斤面が漣川郡に編入。漣川郡に以下の面が成立。[6](13面)
官仁面・郡内面・中面・旺澄面・嵋山面・百鶴面・郡南面・積城面・南面・北面(旧朔寧郡郡内面)・西南面(旧朔寧郡西面・南面)・東面・嶺斤面
1934年4月1日 - 東面・北面が合併して朔寧面が成立。(12面)
1938年1月1日 - 郡内面が漣川面に改称。[7](12面)
1941年 - 嶺斤面を全谷面に改称。(12面)
1945年
8月15日 - ソ連軍管理下に置かれる。ただし、南面・積城面および百鶴面・全谷面の各一部は米軍管理下に置かれる。(南4面、北10面)
11月4日 - 米軍管理下の南面・百鶴面・積城面・全谷面が坡州郡に編入。漣川郡消滅。(10面)
百鶴面・積城面・全谷面は坡州郡積城面に改編。
1946年2月5日に南面は楊州郡に移管。
1946年
9月5日 - ソ連軍管理下の京畿道を江原道に編入。
12月 - 抱川郡(永平郡)青山面・蒼水面を編入し、漣川郡は漣川面・官仁面・中面・朔寧面・西南面・旺澄面・嵋山面・百鶴面・全谷面・郡南面・青山面・蒼水面の12面で構成される。
1948年9月9日 - 朝鮮民主主義人民共和国の建国に伴い漣川郡もその管轄となる。