漢文訓読
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「訓読」、「レ点」はこの項目へ転送されています。

日本語における漢字の読み方の種類については「訓読み」をご覧ください。

」型のマークについては「チェックマーク」をご覧ください。

漢文訓読(かんぶんくんどく)とは、漢文の語順構成を維持しながら、訓点を付して日本語の文体に置き換えて読解すること。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。カテゴリ:漢文
概要

古くは乎古止点(をことてん、:をことてむ)によって、漢文に「を」や「こと」などを補うのに興り、返り点(かえりてん、:かへりてむ)で読む順番を示したり、送り仮名句読点片仮名などで日本語の訓で読む助けにしたりして発展した。ヲコト点・返り点・送り仮名・振り仮名などを総称して訓点という[1]
漢文訓読語

漢文訓読
Kanbun Kundoku
話される国
日本
話者数?
言語系統日本語(大和言葉)古典中国語クレオール言語

漢文訓読

表記体系漢字仮名
言語コード
ISO 639-3なし
テンプレートを表示

訓読語の特徴

漢文を訓読の形にして読解したものを、個別言語クレオール言語の一種として漢文訓読語(かんぶんくんどくご、英語: Kanbun)あるいは単に訓読語(くんどくご)と呼ぶ。漢文訓読自体は漢文が中国大陸から入るようになった古代の段階で既に存在したと考えられているが、その語形が表記されるようになったのは、9世紀頃とされている。漢文訓読語では、文章そのものには触れず、読解時に日本語の文法に合わせて上下を転倒して適切な助詞助動詞活用語尾などを補い、それ以外のものは漢語として読んでいく方法が取られる。そのため、訓読自体も漢語の影響を受けやすく翻訳口調になることもある。一方で、その歴史の長さから古い日本語の形態を現代に伝える読み方や反対に仮名文字の発生以後行われなくなってしまったものや類似の意味の日本語に置き換えられたものもある。

また、漢文訓読語においては、音韻面ではイ音便は?テ・?デ、ウ音便は?ス・?シテに続く場合が多いが助動詞のイ音便・ウ音便は少ない。チ・リからッに転じる促音便が多い(ただし古くは大文字のツを用いた)。撥音便では、ニ・リ・ビ・ミからンに転化したものが訓読には多いが反対に助動詞の撥音便は少ない。これは通常行われていた古代日本語とは反対の傾向を示している。語法面では「来る」「蹴る」は一般的なクル・ケルとは読まずにキタル・クヱルと読ませていた。使役用法に用いるサスは用いずにシスを用いた。打消のザリの連体形ザル・已然形ザレは訓読独自の用法であり、一般的にはそれぞれヌ・ネを使用した。推量のラム・メリ・ケム・ラシ、伝聞推定のナリ・係助詞のコソは訓読では少なく、係助詞ナムや終助詞・間投助詞はほとんど用いられなかった。反対に比況のゴトシは本来は訓読のみに用いられた用法であった。
歴史的な変遷

漢文訓読は9世紀頃までは個々の間で比較的自由に解釈されていたと見られている。ところが、10世紀に入ると家学(お家流)の成立によって菅原氏大江氏藤原氏など紀伝道明経道のそれぞれの家(いわゆる「博士家」)で漢文訓読の流派が成立し、更にそれぞれの一族内でも家系によって訓読方法が異なる例もあった。また同様に、漢文経典を採用していた仏教の宗派間でも経典の訓読方法が宗教的な論争に至る例もあった。とはいえ、漢文訓読体という1つの表現手法が広く日本社会で受容されたのがこの時期であったのも事実である。

13世紀宋学禅宗が伝来すると、当初はこれらも従来の漢文訓読で解釈されていた。だが、口語体の変化に伴う乖離の拡大と博士家による独占的な漢文訓読の強要に反発して、岐陽方秀桂庵玄樹禅僧を中心に新たな訓法(漢文訓読法)を模索する動きが強まり、中世後期から近世にかけてより口語に近い漢文訓読や反対により原文に忠実な漢文訓読なども行われるようになった。直読と訓読を併記した「両点本」の一例。原漢文の経文の右側に字音直読用の平仮名を、左側に漢文訓読用の訓点を施す。両点本は、漢訳仏典や『千字文』でときどき見られる。この画像は江戸期の『法華経』の折り本で、如来寿量品第十六の自我偈の一部。

仏教界では自己宗派の正当性に関わる問題だけに、漢文訓読の方法論の改革には慎重な姿勢がみられた。在家信者の勤行では、仏教経典の読経は字音直読のみで行うのが普通である。寺院における僧侶の読経については、多くの宗派において、字音直読による読誦とあわせて、漢文訓読による読誦も行われている。ただし、漢文訓読による読誦は「正行」ではなく「助行」と位置づけられることが多い。

江戸時代から明治初期の知識人は、漢文を教養素地として漢文訓読を重要視してそれぞれの受けた教育や立場に基づく漢文訓読を行う態度を示している。なお、江戸時代から明治期に、「漢文訓読語」で初版が出版され、その後、復刻されたものとして、『和漢三才図会[2]』、『標註訂正康煕字典[3]』などを挙げることができる。
学校教育の訓読法

現在の学校の教科書に見られる漢文訓読法が確立したのは意外に新しく、明治の末年である。江戸時代までは、各藩の藩校や漢学者の学統ごとに、異なる風格やスタイルの漢文訓読が行われていた。明治時代、近代的な学校制度の整備が進み、全国一律の漢文教育が行われるようになると、文部省は、服部宇之吉をはじめとする当時の学者に依頼して、教科書用の漢文訓読法の整理統一を進めた。その結果は、明治45年(1912年)に「漢文教授ニ関スル調査報告[4]」として発表された。その後、今日に至るまで、これに替わる公的な指針を政府は示していない[5]。21世紀現在でも、文部省の検定教科書に掲載する漢文や、大学の入学試験に出題される漢文については、「漢文教授ニ関スル調査報告」が示す漢文訓読法の基準に依拠している。
漢文訓読文

漢文訓読したものを更に日本語の文体として書き直した日本語文章を漢文訓読文(かんぶんくんどくぶん)あるいは単に訓読文(くんどくぶん)と呼ぶ。一般に訓み下し文・書き下し文とも呼ばれている。訓読したものを日本語の文章にしたものであるから文語体の仮名交文として表記され、日本語の口語文にまで直したもの(現代語訳)は含まれない。

普通は漢字片仮名交り文で書かれるが、全文平仮名文、全文片仮名文の例も存在し、漢文訓読文をそのまま引用する場合にはその原文に従って引用されるのが一般的である。また、近年においては片仮名を原文の漢字に対する振り仮名、平仮名を原文に付されたヲコト点に対して用いる訓点資料もある。

漢文訓読文は奈良時代から行われていたことが、『続日本紀宣命から推定されている。訓読記号を持つ現存最古の資料の1つに奈良時代の写本『続華厳経略疏刊定記』があり、語順符という読み順を示す漢数字が付けられている。奈良時代末期の延暦2?7年(783-788)ごろ付けられたと考えられる。全文に訓点が施されているわけではないが、読解のための補助的な役割をしていたと考えられる[6][7][8]。また、『枕草子』や『源氏物語』などにも漢文訓読文からの引用部分が見られる。中世以後、初学者や民衆向けに漢文訓読体で書かれた歴史書儒学書、仏教経典などが現れるようになったほか、軍記物語などにも影響を及ぼしている。江戸時代には庶民向けを中心に広く定着した。なお、明治から昭和前期にかけて公文書や新聞・雑誌に用いられた「普通文」と呼ばれる文語文(文語体日本語)は漢文訓読体の影響を受けて発達した文体であると考えられている。
乎古止点(乎己止点・ヲコト点)

漢字の周りや内部に点や棒線などの符号をつけることによって、その符号の位置で助詞や助動詞などを表し、音節など区切りを示して訓読の補助にする。博士家点[9]の右上から時計回りに「ヲ、コト、ト、ハ、…」となることから乎古止点と呼ばれる。

奈良・平安時代には始まったとされ、流派や時代によってそれぞれ符号の数や位置が異なり、その中で朝廷の儒者であった清原家によって使用された明経点や、菅原家の儒者によって定められ、院政期以降に用いられた紀伝点など、百を超える種類があるといわれている[10]
訓点の種類

語の読む順を示すときに用いられた補助記号で、字の左上に書かれるレ点のほか、字の左下に書かれる一二三点や上(中)下点などがある[11]漢字の左にある「レ」「上」等が返り点である。参考に読む順番を右に示した。適宜送り仮名を施して、「楚人に盾と矛とを鬻(ひさ)ぐ者有り」と読む。
句読点
句点「。」、読点「、」。並列点(・)
[12]
語句の関係を明瞭にするために用いるもの。(例)學而時習之、不亦説乎。詩賦駢文は、固有の体裁に従って句点のみを施す。
返り点
レ点(雁点)
レ点のついている字をまず読んだ後にその字の上の字を読む。レ点で済む部分は全てレ点で済まし、その他の二字以上返る返り点も上位の返り点がどうしても必要な部分以外は最下位の一二点で済ます。レ点のつくところで改行すると、次の行の先頭にレ点がある
[13]。これは以下に紹介する返り点にはない属性である。点の形がカタカナに似ていたことが呼び名の由来である。かつては雁金点(かりがねてん)と称された[14]。当初は文字と文字の間に「∨」のように書かれ、その形が雁の飛ぶ様に見えたためである。例:読レ書 不レ明 欲レ食レ肉 不レ可レ不レ許
一二(三)点
一、二、(三)のついている順に読む。以下同様。二字以上返るときに使う。三まではよく登場し、四は時折登場するが、五以上が登場することは稀である。後述の珍しい例では九(正しくは十)まで確認されており、後述の欧文訓読ではそれ以上の用例もある。例:登二泰山一 令二趙王鼓一レ瑟 送三元二使二安西一 令四諸君知三天之亡レ我、非二戦之罪一。
上(中)下点
しくみは一二点と同じ。一二点の範囲をまたぐときに用いる。但し返るのが1回だけのときは中は使わず上と下を使う。例:客有下能為二狗盗一者上 勿下以二悪小一為上レ之 不下為二児孫一買中美田上
甲乙(丙)点
しくみは一二点・上(中)下点と同じ。上下点の範囲をまたぐときに用いる。また、一二点の範囲をまたぎ3回以上連続で2字以上返る場合は、一二点より上位の返り点が4つ必要だが、上(中)下点は3つまでしかないため、上(中)下点を飛ばしてこの甲乙(丙)点を使用する。甲乙丙点は理論上は癸までの10個あるといえる。後述の珍しい例では己まで確認されており、後述の欧文訓読では癸まで使った上に十二支を使っている例もある。例(上下点を挟む場合):盍乙以下善二漢文一者上従甲 君子不乙以下其所二-以養一レ人者上害甲レ人 謂丙不下以二衆人一待中其身上、而以二聖人一望乙於人甲。例(一二点を挟んで4文字以上返る場合):観レ此知丁仏典不二全誣一小説稗官亦不丙全出乙虚構甲(なお、一二点を挟んで4文字以上返るために甲乙丙丁点を使った後、それを更に挟んで返る場合は、上下点を用いる。)
天地(人)点
しくみは一二点・上(中)下点・甲乙(丙)点と同じ。甲乙丙点の範囲をまたぐときに用いる。但し返るのが1回だけのときは人は使わず天と地を使う。例:使人籍誠不乙以下蓄二妻子一憂中飢寒上乱甲レ心、有レ銭以済地医薬天。
元亨(利貞)点 もしくは 乾坤点
天地人点の範囲をまたぐときに用いるとされる。「元亨利貞」は易の言葉である。この記号を使わなければ訓読できないほど構造の込み入った文は、まれである。
ハイフン(竪点)
熟語をひとまとまりに扱う。2字以上の熟語に返ってくる時に使う必要が出てくる。例えば、吾日三二-省吾身一は「吾日に吾が身を三省す」と読む。「身」を読んだ直後に「三省」を読むのである。また、この場合、二点はハイフンで繋がれた熟語の1字目の左下につける。[15]二字ずつに分割できる四字熟語に返る場合は、「取二-捨選三-択書物一」のように、返る四字熟語を2字ずつハイフンで繋いで、一から返るならばその前側に二、後ろ側に三とする(実際には返る前の返り点によって変わる)特殊な形を取る。三字の熟語に返る場合は、「奴二-僕-視之一」のように、返る熟語の文字を全てハイフンで繋いで、ハイフンで繋がれた熟語の1字目の左下に返り点を付ける。四字熟語でも意味的に二字ずつに分割できない場合や、五字以上の熟語でも基本的にはそれに準ずる。ただ後述の珍しい例では、二字ずつから成る長い語句に返る場合に二字ずつ返り点を付けている例も見られる。
再読文字

まず返り点を無視して一度読んだ後、返り点に従ってもう一度読む文字のことを再読文字という。書き下し文にする場合は、一度目の読みは漢字で、二度目は平仮名で書く。例えば、過猶レ不レ及

という文の「猶」は再読文字であり、「なホ…ごとシ」と読む。書き下し文にすると、過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし。

となる。再読文字には他にも、「未(いまダ…(セ)ず)」「将(まさニ…(セ)ントす)」「宜(よろシク…(ス)べし)」などがある。
送り仮名縦書き漢文の場合。通常は漢字の右傍下方に片仮名を添える。再読の場合は左傍下方に片仮名添える。伊勢貞丈は『安斎随筆』で「助仮名」としている。かつては捨仮名の名称もあった。
補読

原漢文にないが、日本語の訓読文で必要な言葉を補って訓読することを補読(ほどく)と言う。
副詞化された名詞

副詞化された名詞には、「のごとく」「もて」「として」の何れかを補う。
「のごとく」
副詞化された名詞が比喩・様態を表す場合には「のごとし」を補う
[16]。副詞化された名詞が動詞を修飾する例。

蛇行:蛇のごとく行く。

雲散霧消:雲のごとく散り霧のごとく消ゆ。
副詞化された名詞が形容詞を修飾する例。

漆K:漆のごとくKし。

「もて」
名詞が手段・方法を表す場合には「もて」を補う[17]

毒殺:毒もて殺す。

文化:文もて化す。

白眼視:白眼もて視る。

左手持卮、右手畫蛇(『戦国策』斉策二):左手もて.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}卮(さかづき)を持し、右手もて蛇を畫く。

擧觴白眼望天(『飲中八仙』):觴(さかづき)を擧げ白眼もて青天を望む。
「もて」は現代日本語の「で」に相当する[17]
「として」
名詞が身分・地位を表す場合には「として」を補う[18]。名詞が動作主と同じ例。

客死:客として死す。

君臨:君として臨む。
名詞が動作主と異なる例。

師事:師として事(つか)ふ。

兄事:兄として事ふ。

現代のUnicode における訓点の定義


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:47 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef