漢委奴国王印
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漢委奴国王印
漢委奴国王印
材質金95.1%、銀4.5%、銅0.5%、その他(1989年蛍光X線照射による分析)
寸法一辺の平均2.347 cm、鈕(ちゅう、「つまみ」)を除く印台の高さ平均0.8877 cm、総高2.2367 cm、重さ108.7297 g、体積6.06257 cm3
文字漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)
製作不明
発見筑前国那珂郡志賀島村東南部(現福岡県福岡市東区志賀島)、1784年4月12日発見とする説あり
所蔵福岡市博物館 (1990-)
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漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:漢󠄁委奴國王印)は、日本で出土した純金製の金印)である。読みは印文「漢委奴國王」の解釈に依るため、他の説もある(印文と解釈を参照)。1931年昭和6年)12月14日国宝保存法に基づく(旧)国宝、1954年(昭和29年)3月20日文化財保護法に基づく国宝に指定されている[1]
来歴

1931年(昭和6年)に、同金印は当時の国宝保存法に基づく国宝(文化財保護法の「重要文化財」に相当)に指定され、世に知られるようになった。金印の出土地および発見の状態は詳細不明。福岡藩黒田家に伝えられたものとして明治維新後に黒田家が東京へ移った際に東京国立博物館に寄託された。

1973年(昭和48年)に黒田家・東京国立博物館・文化庁の許可を得て、福岡市立歴史資料館が複製品を作成。材質純金24カラット。福岡市立歴史資料館・九州歴史資料館・文化庁・東京国立博物館も一顆を作成[2]。翌年の1974年(昭和49年)より福岡市立歴史資料館にて展示[3]

その後福岡市美術館の開設に際して1978年(昭和53年)に黒田茂子黒田長礼侯爵夫人)から福岡市に寄贈され(黒田資料の一つ)[4]1979年(昭和54年)から福岡市美術館、1990年平成2年)から福岡市博物館で常設展示されている[5]。貸し出し中は複製品が展示されており、福岡市文化芸術振興財団ではこの複製品から型を取ったレプリカを博物館監修の元で販売している[6]
出土地志賀島の金印公園
漢委奴国王印出土推定地。

文献上は筑前国那珂郡志賀島村叶崎(かなのさき)または叶ノ浜とされている。志賀島(現・福岡県福岡市東区)の島内であるが、正確な場所は明らかとなっていない。

1914年大正3年)、九州帝国大学中山平次郎が現地踏査と福岡藩主黒田家の古記録及び各種の資料から、その出土地点を志賀島東南部と推定した。


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