滝野川_(東京都北区)
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 東京都 > 北区 > 滝野川

滝野川
町丁
滝野川のスカイライン
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度44分54秒 東経139度43分46秒 / 北緯35.748414度 東経139.729522度 / 35.748414; 139.729522
座標位置:都立王子総合高校付近
日本
都道府県 東京
特別区 北区
地区滝野川地区

人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[1]
 人口34,688 人
 世帯数19,985 世帯

面積[2]
 1.416375744 km²
人口密度24490.68 人/km²
郵便番号114-0023[3]
市外局番03(東京MA[4]
ナンバープレート練馬
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滝野川(たきのがわ)は、東京都北区町名。現行行政地名は滝野川一丁目から滝野川七丁目。全域が住居表示実施済み区域。
地理音無親水公園歌川広重名所江戸百景』より、088番『王子滝の川』魚屋北渓 『得吉方廼滝 滝の川紅葉』高橋由一『滝之川紅葉』 1876年(明治9年)頃

滝野川地区の西部に位置し、豊島区上池袋西巣鴨)・板橋区板橋)との区境に当たる。全体的に南側が旧谷端川流域、北側が石神井川流域で谷になっており、中山道を境に南北になだらかに低くなっていく地形である。王子駅板橋駅西巣鴨駅に囲まれた北区南部の地域である。東端は都電荒川線西ヶ原四丁目電停付近 - 飛鳥山電停の区間で、都電荒川線東側の通りを境に西ケ原、西端は南側より旧谷端川を境に豊島区上池袋埼京線板橋駅 - 北養護学校の辺りで板橋区板橋、南端は概ね南側から滝野川七丁目交差点南側 - 西巣鴨交差点の区間で明治通り、西巣鴨体育場のある道路を境界に豊島区西巣鴨、北端は概ね石神井川を挟んで十条台王子本町、明治通りと本郷通りを境界に王子と接する。ただし、4丁目のみ石神井川の北側になる。滝野川警察署(所在地:西ケ原)・滝野川消防署 (所在地:西ケ原)の管轄内に当たる。

滝野川は石神井川下流での別名でもある。かつては石神井川はこの付近で渓谷となって蛇行しており、流れも急なため、「滝のような川」であることから滝野川と呼ばれるようになった。また周囲には滝もあるほか紅葉の名所として多くの絵画などにも描かれるほど有名であった[5]
広域地名

北区の成り立ちから、同区は滝野川を含む以下の地域を総じて滝野川地区と呼称している。

滝野川西地区:旧滝野川区の内、JR東日本京浜東北線より西の区域

滝野川東地区:旧滝野川区の内、JR東日本京浜東北線より東の区域

河川

石神井川 -「滝野川」は石神井川の別称である。

観音橋

滝野川橋

紅葉橋


地価

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、滝野川2-54-14の地点で46万8000円/m2、滝野川5-6-4の地点で95万1000円/m2となっている[6]
歴史

1889年明治22年)の町村制施行時点における北豊島郡滝野川村(1913年に町制施行し滝野川町へ)大字滝野川および大字下十条が現在の滝野川1-7丁目の始祖である。滝野川町は1932年昭和7年)に東京市へ編入され滝野川区へ移行し、この時大字滝野川と大字下十条は統合され滝野川町となる。1947年(昭和22年)に滝野川区は王子区と合併し北区が成立。その後1953年(昭和28年)に町名整理により滝野川町は滝野川一丁目から七丁目に再編された。

1964年住居表示が施行され、滝野川一丁目から六丁目までの区域がそのまま継承され改めて滝野川一丁目から六丁目が成立。1968年に残りの滝野川七丁目にも住居表示が施行され現在に至る。

また、紙幣印刷工場があったことも有名である。
地名の由来

石神井川板橋区加賀付近から川底を深くして渓谷状となり、水流も急であったことから「滝野川」と呼んだことに因む[7]
町名の変遷

実施後実施年月日実施前
滝野川一丁目1964年(昭和39年)11月1日滝野川一丁目
滝野川二丁目滝野川二丁目
滝野川三丁目滝野川三丁目
滝野川四丁目滝野川四丁目
滝野川五丁目滝野川五丁目
滝野川六丁目滝野川六丁目
滝野川七丁目1968年(昭和43年)2月1日滝野川七丁目

史跡

近藤勇の墓碑(寿徳寺

世帯数と人口

2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
滝野川一丁目3,345世帯5,911人
滝野川二丁目2,474世帯4,653人
滝野川三丁目3,390世帯5,980人
滝野川四丁目1,130世帯1,914人
滝野川五丁目1,926世帯3,142人
滝野川六丁目3,951世帯6,968人
滝野川七丁目3,769世帯6,120人
計19,985世帯34,688人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移年人口
1995年(平成7年)[8]32,703
2000年(平成12年)[9]32,017
2005年(平成17年)[10]31,738


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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