滝谷琢宗
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滝谷 琢宗(たきや たくしゅう、天保7年(1836年)12月22日 - 明治30年1897年1月31日)は、越後出身の日本曹洞宗僧侶。魯山琢宗とも。俗名は小川五三郎。永平寺63世貫首(真晃断際禅師)。
略歴

1836年12月22日、越後国中魚沼郡仙田村(現、
十日町市)の小川家の次男に生まれる。

1848年4月8日、刈羽郡小国町(現、長岡市)の真福寺で出家する。

1853年3月18日、江戸に上がり、吉祥寺旃檀林(現、駒澤大学)に入学する。

1865年、諸嶽奕堂に師事する

1870年、新潟県中蒲原郡村松町(現、五泉市)の英林寺住職となる

1871年、同町の慈光寺住職となる

1872年、太政官布告により滝谷を姓に選ぶ

1873年、總持寺東京出張所監院となる

1883年、最乗寺独住3世となる、曹洞宗務局総監となる

1886年、永平寺63世となる

1887年、曹洞宗管長となる

1892年、永平寺貫首を引退、相模国観音寺に移動

1897年、東京麻布にて遷化

著作リスト

『総持開山太祖略伝』(曹洞宗務局、1879年)

『曹洞教会修証義筌蹄』(明教社、1893年)

編著

『曹洞教会修証義』(
畔上楳仙との共編著、川端清五郎、1912年)

語録

『琢宗禅師語録』(琢宗禅師語録刊行会編、
永平寺、1987年)

参考文献

『明治前期曹洞宗の研究』(
川口高風著、法蔵館、2002年)

『禅学大辞典』(大修館書店)p821

先代
曹洞宗管長
1887年次代

先代
青蔭雪鴻曹洞宗永平寺貫首
63世:1886- 1892次代
森田悟由

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