滝川潤
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たきがわ じゅん
滝川 潤
生年月日1936年12月
出生地
日本東京府
職業俳優
ジャンル映画テレビドラマ
主な作品
特別機動捜査隊
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滝川 潤(たきがわ じゅん、1936年12月[1][2] - )は、日本俳優

東京府(現・東京都)出身[1][2]京華商業高等学校卒業[2]
来歴・人物

生家は理髪店で、高校在学中に家業を継ぐために理容師免許を取るが、高校卒業後に俳優座養成所に第7期生として入所[2]。同期には藤岡重慶井川比佐志がおり、『特別機動捜査隊』出演中の1965年に藤岡は『事件記者 』(NHK)、井川は『刑事』(フジテレビ)に刑事役でレギュラー出演しており、当時の紹介記事の中で「それぞれ違う役柄ですが、やはり負けたくありません」と述べている[1]

養成所を卒業した1959年、第5期東映ニューフェイスに合格して芸能界デビュー[1][2]

映画『故郷は緑なりき』(1961年)などで悪役として出演したのち、1963年より刑事ドラマ特別機動捜査隊』(NET)に若井田刑事役でレギュラー出演[1][2]。番組では劇中でパトカーとして使用されたセドリックの運転を任せられることが多く、1968年の紹介記事では「セドリックを運転できるのは嬉しいです。運転面で、刑事役の至らない部分をカバーしようと一生懸命です」と述べている[2]

同作品の降板後は、刑事ドラマや時代劇で、主に悪役として活動した。

『特別機動捜査隊』で共演した北原隆高島新太郎松原光二と「フォア・ジャスメン」というユニットを結成しレコードデビューした時期もあった。

趣味は、ゴルフボウリング[1][2]
出演
映画

埠頭の縄張り(1959年、
東映

ふたりの休日(1959年、東映)

べらんめえ芸者(1959年、東映)

スピード狂時代 命を賭けて(1959年、東映)

地獄の渡り者(1960年、東映)

おれたちの真昼(1960年、東映)

少年漂流記(1960年、東映)

続 少年漂流記(1960年、東映)

十七歳の逆襲 暴力をぶっ潰せ(1960年、東映)

生き抜いた十六年 最後の日本兵(1960年、東映)

第三次世界大戦 四十一時間の恐怖(1960年、東映)

不良少女(1960年、東映)

殴り込み艦隊(1960年、東映)

不敵なる脱出(1961年、ニュー東映

若い涙を吹きとばせ(1961年、東映)

無鉄砲社員(1961年、東映)

大学武勇伝(1961年、ニュー東映)

赤いネオンに霧が降る(1961年、ニュー東映)

わが生涯は火の如く(1961年、ニュー東映)

故郷は緑なりき(1961年、ニュー東映)

警視庁物語 十二人の刑事(1961年、ニュー東映)

街(1961年、ニュー東映)

残酷な月(1962年、東映)

南太平洋波高し(1962年、東映)

残酷な月(1962年、東映)

東京アンタッチャブル(1963年、東映)

第八空挺部隊 壮烈鬼隊長(1963年、東映)

陸軍残虐物語(1963年、東映)

囁きのジョー(1967年、松竹

子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる(1972年、勝プロ / 東宝

新兵隊やくざ火線(1972年、東宝、勝プロ)

衝撃!売春都市(1974年、東映)

動乱(1980年、東映)

獣たちの熱い眠り(1981年、東映、徳間文庫

誘拐報道(1982年、東映)

テレビドラマ

特別機動捜査隊NET)(1963年‐1973年)‐ 岩井田刑事

花のお江戸のすごい奴 第3話「子の刻に待て」(1969年、CX) - 伊勢崎数馬

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