滋賀県第4区
行政区域2022年廃止
(2024年1月1日現在)
比例区近畿ブロック
設置年2002年
廃止年2022年
選出議員小寺裕雄
有権者数人
0.000 倍(一票の格差・鳥取1区との比較)
(総務省
滋賀県第4区(しがけんだい4く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区である。2002年(平成14年)公職選挙法改正による区割りの変更で新設されたが、2022年の区割変更で廃止された。 2022年(令和4年)の公職選挙法改正で廃止され[1]、元の2区と3区から編入された地域はそれぞれ元の選挙区に復帰した(東近江市、近江八幡市、蒲生郡[注釈 1]は2区へ、甲賀市、湖南市[注釈 2]は3区へ)[2]。当選挙区は、増設された小選挙区が廃止された唯一の例である。 2013年(平成25年)公職選挙法改正から2022年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[3][4]。 2002年(平成14年)公職選挙法改正から2013年の小選挙区改定までの区域は以下のとおりである[5]。旧2区[注釈 1]・3区[注釈 2]の各一部からなされた。 かつて3区で激しい争いを繰り広げてきた自由民主党の岩永峯一と民主党の奥村展三がそのまま新設された4区に移行し、2003年、2005年の2度にわたり激しい選挙戦を繰り広げてきた。4区は旧3区の岩永の地元である甲賀郡と旧2区の小西理の地元である近江八幡市を合わせて新設された選挙区であることから自民党では候補者調整に難航したが、最終的に岩永が4区に移行し小西が新2区に鞍替えすることで決着した。以前の3区は自民党の強い地域が集まっていたが2区と3区の地域を再編成した4区は民主党の強い地域もあり、第44回まで勢力は拮抗していた中で、選挙区では岩永が勝利を収めてきた。 しかし岩永が第45回に出馬せず引退し、民主の追い風も相まってその構図が崩れ、岩永の後継である対話でつなごう滋賀の会スタッフの武藤貴也(当初は岩永の息子が出馬すると決まったが岩永の金銭問題が発覚し辞退に追い込まれた)は岩永の半分強の得票しか獲得できなかった。 第46回ではその奥村・武藤に岩永峯一の息子岩永裕貴が日本維新の会公認として立候補、さらに政治活動を休止していた小西理が無所属で立候補し、乱戦となったが武藤が勝利。裕貴は比例復活、奥村、小西は落選という結果になった。 第47回では引退を表明した奥村に代わり民主党から参議院滋賀県選挙区で当選経験のある近江八幡市出身の徳永久志が立候補。武藤・岩永と三つ巴の争いとなったが武藤が再選。結果的に反自民票が割れ、徳永と岩永は比例復活すらできなかった。 第48回では金銭トラブルから自民党を離党し不出馬となった武藤の後継である小寺裕雄と徳永の対決になったが、小寺が比例復活も許さず勝利し自民党の議席を維持している。また岩永は2016年に甲賀市市長選挙に出馬し当選している。 第49回では小寺が再び勝利したものの徳永が比例復活した。 第50回からは滋賀県内の小選挙区の数が3選挙区に戻るため、本選挙区は廃止となる。 選挙名年当選者党派
区域
近江八幡市
甲賀市
湖南市
東近江市(2区に属しない区域:旧八日市市・永源寺町・五個荘町・蒲生町・能登川町域)
蒲生郡
近江八幡市
八日市市
甲賀郡
蒲生郡
神崎郡
歴史
小選挙区選出議員
第43回衆議院議員総選挙2003年岩永峯一自由民主党
第44回衆議院議員総選挙2005年
第45回衆議院議員総選挙2009年奥村展三民主党
第46回衆議院議員総選挙2012年武藤貴也自由民主党
第47回衆議院議員総選挙2014年
第48回衆議院議員総選挙2017年小寺裕雄
第49回衆議院議員総選挙2021年
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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