滋賀県立石山高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度58分7秒 東経135度53分49.1秒 / 北緯34.96861度 東経135.896972度 / 34.96861; 135.896972
滋賀県立石山高等学校(しがけんりつ いしやまこうとうがっこう)は、滋賀県大津市国分に所在する公立の高等学校。 滋賀県内では「石高(いしこう)」と略されることが多い。音楽科を設置する県内で唯一の高等学校である[1]。 「高きを仰げ!」を基本精神としている。 高校全入運動の下で滋賀県内でも高等学校の新設を望む声が高まり、1962年(昭和37年)2月に守山・能登川・米原の3高校の設置が決定し、大津市では既設の学校の学級増か分校設置で対応する方針を発表したが、その後同年12月7日に大津市内にも高等学校が新設されることが決定した[2]。当時は建設予定地として、滋賀県は石山地区、大津市は米軍Aキャンプ跡(現在の皇子が丘公園)の位置に建設するよう主張したが、1963年(昭和38年)1月23日に新設校の名称が「石山高等学校」に決定し、石山国分町・膳所焼野町・南郷町の3ヶ所があがる[2]。その後、1月25日に「滋賀県立石山高等学校(仮称)開設事務所」が設立され、2月26日に石山国分町の畑ヶ山台地に建設されることが決定する[2]。1963年(昭和38年)4月に滋賀大学学芸学部の旧校舎を仮校舎として開校し、同年7月6日に新校舎の起工式が行われた[3]。1964年(昭和39年)度から石山国分町の校舎に移転した[4]。移転後も校舎の建設工事が行われ、部活動は周辺の学校などを借用するなど校内では十分に活動できない状態だった[5]。1966年(昭和41年)に体育館と3教室の増築が完了[6]。1967年(昭和42年)9月5日に校内道路の舗装が完了し、9月9日にプールが竣工した[7]。1972年(昭和47年)には従来視聴覚室に設置されていた図書室が、図書館棟の完成に伴い移動した[8]。 1965年(昭和40年)に県内の高等学校に音楽科を設置する要望書が県教委に、1966年(昭和41年)に県立の高等学校に音楽科を新設する請願書が県議会に採択された[7]。
概要
設置学科
普通科
音楽科 - 国語や英語など普通科と同様の科目に追加し、ソルフェージュや音楽理論などの専門科目の授業が設けられ、2年生から芸術大学や音楽大学を目指すコースと音楽教師を目指して教育大学を目指すコースに分かれる[1]。
沿革