滋賀県立彦根工業高等学校
北西から撮影(2017年11月)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度13分10.2秒 東経136度13分30.9秒 / 北緯35.219500度 東経136.225250度 / 35.219500; 136.225250
滋賀県立彦根工業高等学校(しがけんりつ ひこねこうぎょうこうとうがっこう)は、滋賀県彦根市南川瀬町に所在する公立の工業高等学校である。略称は「彦工」(げんこう)。 定時制 剛健和協 当時の校長だった歌崎雄治が、「荒城の月」の作者として有名な土井晩翠の「天地有情」という作品の大ファンだった。そのため「校歌をぜひ土井晩翠さんに作って欲しい」と懇願し、作詞:土井晩翠、作曲:外山國彦という彦根工業高等学校歌が誕生した。
設置学科
機械科(夜間)
沿革
1920年 - 滋賀県立彦根工業学校開校(現・滋賀県立彦根翔西館高等学校の敷地)、色染科・紡織科(全日制)を設置
1936年 - 建築科(全日制)を設置
1939年 - 機械科・応用化学科(全日制)、第二本科に機械科・応用化学科(定時制)を設置
1940年 - 第二本科に建築科(定時制)を設置
1943年 - 色染科(全日制)を廃止
1944年 - 紡織科(全日制)を廃止
1944年 - 第二本科を滋賀県立第二彦根工業学校に改称、建築科・機械科・工業化学科(定時制)を設置
1946年 - 紡織科・色染科(全日制)を再設置
1948年 - 学制改革により滋賀県立彦根南高等学校に改称
1948年 - 建築科・機械科・工業化学科・色染科・紡織科(全日制)、建築科・機械科・工業化学科(定時制)を設置
1948年 - 併設県立中学校開校
1949年 - 滋賀県立彦根高等学校南校舎に改称(のち東校舎は彦根東、西校舎は彦根西となる)
1952年 - 滋賀県立短期大学附属工業高等学校に改称、色染科・紡織科(全日制)を廃止
1958年 - 土木科(全日制)を設置
1960年 - 滋賀県立短期大学附属彦根工業高等学校に改称
1963年 - 電気科(全日制)を設置
1967年 - 滋賀県立彦根工業高等学校に改称
1968年 - 工業化学科を廃止
1970年 - 創立50周年・校舎を南川瀬町に移転(9月)
1974年 - 情報技術科(全日制)を設置
1992年 - 設備システム科(全日制)を設置、土木科を都市工学科(全日制)に改称、建築科を廃止
1995年 - 建築科(定時制)を廃止
2000年 - 工業化学科を環境化学科(全日制)に改称、創立80周年
2005年 - 文部科学省のIT人材育成プロジェクト研究指定校に認定
2014年 - 情報技術科、設備システム科、都市工学科、環境化学科廃止、情報技術科は電気科情報系に、都市工学科、設備システム科は建設科へ移行した。
2020年 - 創立100周年
2021年 - 近畿地方初のマイスターハイスクール認定校となった。
校訓
心身の協和的な発達を促進するとともに、基礎・基本を重視し、自己教育力の育成を図る。
社会の有為な形成者を目指し、全教育活動を通じて生徒一人ひとりを深く理解し、真理と正義を愛する豊かな人間性を育む教育の充実に努める。
平和な国際社会に貢献しうる工業人として専門知識・技術を練磨し、科学的創造性および勤労の精神の啓発を図る。
校歌の由来
進路
主に理工学系統の私立大学・短期大学・高等専門学校・専門学校に47%の生徒が進学する。
Size:15 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef