滋賀県希望が丘文化公園
滋賀県希望が丘文化公園西ゲート(2013年3月)
広域地図(緑枠内が滋賀県希望が丘文化公園)
周辺地図(南側を名神高速道路が通る)
分類公の施設(公園施設)
所在地 日本滋賀県野洲市、湖南市、竜王町
面積4,160,000 m2
開園1974年9月
運営者滋賀県(指定管理者:文化スポーツ部文化芸術振興課[1][2])
設備・遊具青年の城(青少年宿泊研修所)
桜の森
キャンプ場
陸上競技場
グラウンドゴルフ場
野球場
テニスコート
スポーツ会館 など
駐車場1,761台[3]
アクセスJR琵琶湖線 野洲駅から車で約7分
名神高速道路 竜王ICから車で約5分
事務所所在地滋賀県蒲生郡竜王町大字薬師1178番地
公式サイト公式サイト
滋賀県希望が丘文化公園(しがけんきぼうがおかぶんかこうえん)は、滋賀県野洲市を中心に、湖南市および蒲生郡竜王町にかけて位置する敷地面積4,160,000 m2という広大な公園である[4]。1969年(昭和44年)に起工し、1974年(昭和49年)9月に全園完工した。 希望が丘文化公園は主に文化ゾーン、スポーツゾーン、野外活動ゾーンに分かれ、文化ゾーンでは学校のオリエンテーションや、スポーツの合宿、企業研修など、青年の城周辺の施設を利用できる。スポーツゾーンでは陸上競技や球技、テニス、フィールドアスレチック、グラウンド・ゴルフなど、スポーツ会館周辺の施設を利用できる。野外活動ゾーンではキャンプやテント泊など、家族や団体で利用できる施設が野外活動センター周辺にある。 当公園では100年先にも誇れる公園づくり計画として、『100年プロジェクト』が制定されている[5]。この計画は、「森づくり」・「人づくり」・「活力づくり」に取り組むものである[5]。2018年(平成30年)には滋賀県で『希望が丘文化公園基本計画』が策定され[6]、(当公園の)将来像として「機能を知り利用する」・「育てる」・「発信する」の3つが実現目標として掲げられた[7]。
概要
沿革
年表
1968年(昭和43年)
4月:滋賀県企画部開発課において基本計画が立案され、用地買収を開始する。
10月:仮称「県民文化センター」計画会議が設置され、同月19日に第1回計画会議が開催される。
1969年(昭和44年)
3月4日:仮称「県民文化センター」の名称を募集。約4,100の公募があり、名称選定委員会による審査の結果、名称を「希望が丘」とすることが決定する。
4月1日:滋賀県企画部内に「希望が丘建設室」が設置される。
6月:滋賀県立文化公園希望が丘基本計画が完了する。同月、文化公園希望が丘建設事業概要を刊行する。
10月3日:希望が丘建設事業の起工式が行われる。
1970年(昭和45年)
3月25日:野外活動センターが竣工する。
7月1日:野外活動センター第1・2・3キャンプ場が竣工し、開所式が行われる。この式典には高松宮が臨席した。
12月23日:希望の橋が竣工する。
1971年(昭和46年)
3月31日:かえでの森の造園工事が完成する。
4月15日:かえでの森で完成記念植樹式が行われる。
8月31日:ダビデ像の永久設置契約を日本文化財団との間で締結する。
9月1日:希望が丘文化公園青年の城準備室を滋賀県教育委員会社会教育課内に設置する。
9月5日:ダビデ像を青年の城屋内に設置する[8]。
9月30日:スポーツゾーンの造成工事が竣工する。
1972年(昭和47年)