凡例源頼家
時代平安時代中期
生誕不詳
死没不詳
官位従四位下、蔵人、越中守、筑前守
主君藤原頼通
氏族清和源氏、摂津源氏
父母父:源頼光、母:平惟仲の娘
養父:源頼範
兄弟頼国、頼家、頼基、永壽
源 頼家(みなもと の よりいえ)は、平安時代中期の官人・歌人。源頼光の次男。後に叔父頼範の養子となっていたとされる[1]。『尊卑分脈』による官位は従四位下、蔵人、筑前守。 長元8年(1035年)に蔵人に任ぜられ、兄・頼国と同じく藤原頼通に近しく仕える一方、受領を歴任した。特に歌人としての活動がよく知られており、甥・頼実と共に中級貴族の歌人集団・和歌六人党
経歴
陸奥守在任時の橘為仲から、往年の和歌六人党のうち存命であるのは自分と頼家だけになってしまったという内容の和歌が贈られた際に、為仲は六人党のうちでないといって怒ったという説話が『袋草紙』『続古事談』『十訓抄』にある。
その詠歌は『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に9首が入集している。
系譜
父:源頼光
母:平惟仲女[2]
妻:不明
生母不明
男子:源家盛 - 勾当。
男子:源満綱 - 従四位下、伊豆守。
男子:源満家 - 文章生。
男子:源家通 - 従五位下、駿河守。
男子:源家基 - 肥後介。
脚注^ 「為叔父子云々」(『尊卑分脈』)長兄・頼国とはいささか年が離れ、寛弘4年(1007年)頃の出生と考えられている。
^ 母の実父は藤原忠信で惟仲の養女となっていたとも推測される。
出典
久保田淳・平田喜信校注 『後拾遺和歌集』 (岩波書店、1994年)
浅見和彦校注 『十訓抄』新編日本古典文学全集51(小学館、1997年)
川端善明・荒木浩校注 『古事談 続古事談』新日本古典文学大系41 (岩波書店、2005年)