源清鑒
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源 清鑒(みなもと の きよみ、生年不詳 - 承平6年4月14日936年5月7日))は、平安時代前期から中期にかけての貴族陽成天皇の皇子。官位従三位刑部卿目次

1 経歴

2 官歴

3 系譜

4 脚注

5 参考文献

経歴

醍醐朝延長3年(925年源朝臣姓を与えられ臣籍降下し、延長5年(927年左近衛中将に任ぜられる。朱雀朝にて、従三位に叙せられて公卿に列し、刑部卿を務めた。

承平6年(936年)4月14日薨去。最終官位は刑部卿従三位。

山階に邸宅があり、没後の天慶5年(942年成明親王が山階陵(醍醐天皇陵)に赴いた際に、休息の場として利用されている[1]
官歴

延長3年(925年) 5月20日:臣籍降下源朝臣[2]

延長5年(927年) 正月12日?:左近衛中将[3]

時期不詳:従三位刑部卿

承平6年(936年) 4月14日:薨去(刑部卿従三位)[4]

系譜

尊卑分脈』による。

父:陽成天皇

母:伴氏

生母不詳の子女

男子:源公貞

男子:源公輔

男子:源公雅


脚注^ 『九暦』天慶5年12月21日条
^ 『尊卑分脈』
^ 『近衛府補任』
^ 『日本紀略』

参考文献

『尊卑分脈 第二篇』
吉川弘文館、1987年

市川久編『近衛府補任 第一』続群書類従完成会、1992年


更新日時:2020年5月10日(日)08:46
取得日時:2021/12/10 00:24


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