凡例源有
時代平安時代前期
生誕不明
死没不明
官位従四位上・右馬頭
主君清和天皇→陽成天皇→光孝天皇
氏族嵯峨源氏
父母父:源信
兄弟叶、平、恭、有、好、保、任、昌、春尋
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源 有(みなもと の たもつ)は、平安時代前期の貴族。嵯峨源氏、左大臣・源信の子。官位は従四位上・右馬頭。 天安2年(858年)清和天皇の即位に伴って従五位下に叙爵し、貞観5年(863年)従五位上に叙せられる。貞観8年(866年)に発生した応天門の変において、父・信は嫌疑を受けて無罪となるも籠居し、貞観10年閏12月(869年2月)事故死する。その後、有は貞観12年(870年)相模権守に任ぜられ、地方官を務める。 陽成朝では因幡守を務め、任期中の元慶6年(882年)従四位下に叙せられる。光孝朝でも仁和3年(887年)尾張権守に任ぜられるなど、引き続き地方官を務めている。のち、従四位上・右馬頭に至る。 『日本三代実録』による。
目次
1 経歴
2 官歴
3 脚注
4 参考文献
経歴
官歴
時期不詳:正六位上
天安2年(858年) 11月7日:従五位下
貞観2年(860年) 4月1日:次侍従
貞観5年(863年) 正月7日:従五位上
貞観12年(870年) 正月25日:相模権守
時期不詳:正五位下。因幡守
元慶6年(882年) 正月7日:従四位下
仁和3年(887年) 2月17日:尾張権守
時期不詳:従四位上。右馬頭[1]
脚注^ 『尊卑分脈』
参考文献
武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録』(上下巻)、戎光祥出版、2009年
更新日時:2018年8月29日(水)08:54
取得日時:2019/08/12 07:27