この項目では、平安時代の貴族について説明しています。「源平合戦」と呼ばれる戦いについては「治承・寿永の乱」を、その他の用法については「源平合戦 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
凡例源平
時代平安時代初期 - 前期
生誕不詳
死没不詳
官位従四位上、大膳大夫
主君文徳天皇→清和天皇→陽成天皇→光孝天皇
氏族嵯峨源氏
父母父:源信、母:不詳
兄弟叶、平、恭、有、好、保、任、昌、春尋
テンプレートを表示
源 平(みなもと の ひらし/たいら)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。嵯峨源氏、左大臣・源信の子。官位は従四位上・大膳大夫。 文徳朝の仁寿3年(853年)従五位下に叙爵し、斉衡4年(857年)従五位上に昇叙される。 天安2年(858年)清和天皇の践祚後まもなく左兵衛佐に任ぜられる。左兵衛佐在任中の貞観16年(874年)淳和院にて火災が発生した際、左衛門権佐・藤原維範と共に兵衛の衛士らを率いて対応にあたっている[1]。その後、清和朝末に丹波権守として地方官に転じた。 貞観19年(877年)陽成天皇の即位に伴う叙位にて従四位下に叙せられる。元慶5年(881年)知的障害があったため、父・信から子として認められず系譜から削除されてしまっていた兄弟・尋に対する春朝臣姓の賜与を、兄弟の恭・保と共に奏請し、許されている[2]。 元慶8年(884年)光孝天皇の即位に伴って従四位上に叙せられ、仁和2年(886年)相模権守、仁和3年(887年)大膳大夫に任ぜられている。
経歴
官歴
時期不詳:正六位上
仁寿3年(853年) 正月7日:従五位下
斉衡4年(857年) 正月7日:従五位上
天安2年(858年) 9月14日:左兵衛佐
貞観5年(863年) 4月7日:次侍従
時期不詳:正五位下。丹波権守
貞観19年(877年) 正月3日:従四位下
元慶8年(884年) 2月23日:従四位上
仁和2年(886年) 2月21日:相模権守
仁和3年(887年) 6月13日:大膳大夫
脚注^ 『日本三代実録』貞観16年4月19日条
^ 『日本三代実録』元慶5年6月9日条
参考文献
武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録』(上下巻)、戎光祥出版、2009年