満福寺_(栃木県野木町)
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満福寺
本堂(2012年7月)
所在地栃木県下都賀郡野木町野渡706
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度12分33秒 東経139度41分56秒 / 北緯36.20928度 東経139.69897度 / 36.20928; 139.69897座標: 北緯36度12分33秒 東経139度41分56秒 / 北緯36.20928度 東経139.69897度 / 36.20928; 139.69897
山号西光山
院号乾亨院(乾享院)
宗派曹洞宗
本尊釈迦如来
創建年明応元年(1492年
開山能山聚藝
開基足利成氏
正式名西光山 乾亨院 満福寺
文化財足利成氏の墓(町指定)他
法人番号8060005005130
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満福寺(まんぷくじ)は、栃木県下都賀郡野木町野渡にある曹洞宗の寺院。正式には、山号を西光山、院号を乾亨院、寺号を満福寺という[1]古河公方ゆかりの寺院である。
歴史

戦国時代明応元年(1492年)に建立された。古河公方足利成氏開基東昌寺2世・能山聚藝の開山と伝えられている[2]。寺伝によれば、もとは臨済宗の寺院であり、本尊も鎌倉円覚寺から移されたが、永正元年(1504年)に曹洞宗に改められた(『古河志』)[3]

江戸時代に火災があったが、安政元年(1854年)に再建、現在に至る[1]

戦国時代の連歌猪苗代兼載の墓があることにちなみ、昭和30年代には兼載が好んだ桜が山門前に植えられており、名所となっている[4]
文化財

足利成氏の墓:足利成氏は第5代鎌倉公方・初代古河公方享徳の乱にて室町幕府関東管領上杉氏と争い、享徳4年(1455年)に鎌倉から古河へ移座した。当寺には成氏の墓に関する記録はないが、本寺にあたる熊谷市上之の龍淵寺には、「満福寺に足利成氏と猪苗代兼載の墓がある」との記録が残されている(『古河志』)[3]。野木町指定文化財[5]

猪苗代兼載の墓:猪苗代兼載は、応仁・文明の乱後に京都で活躍した連歌師。親交のあった宗祇とともに『新撰菟玖波集』の撰集を行った。永正7年(1510年)に古河城下で没した。宗祇の弟子宗長が書いた紀行文『東路の津登』によれば、永正6年(1509年)には、古河公方家侍医田代三喜の治療を受けるため、古河に滞在していた。兼載は第2代古河公方足利政氏とも句を交わしている。現在は、三百回忌にあたる文化6年(1809年)に造立された供養塔が残されている[6][7]。野木町指定文化財[5]

満福寺の板碑:境内にある正元元年銘(1259年)の阿弥陀一尊板碑。栃木県内で最古のものと考えられている[5][1]。野木町指定文化財[5]

交通

鉄道

東日本旅客鉄道(JR東日本)宇都宮線古河駅西口から徒歩28分(約2.3 km)、タクシー10分、市内観光用無料レンタル自転車「コガッツ」利用可[8]

JR宇都宮線野木駅西口から徒歩54分(約4.6 km)

東武日光線新古河駅東口から徒歩36分(約3.0 km)


脚注[脚注の使い方]^ a b c野木町公式ホームページ 野木町観光情報 歴史探訪 満福寺
^ 野木町史編さん委員会 編 『野木町史 歴史編』 野木町、1989年、303頁(中世の寺院)
^ a b 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年、193頁(満福寺)
^野木町公式ホームページ 野木町観光情報 自然散策 満福寺のソメイヨシノ
^ a b c d野木町公式ホームページ 生涯学習の時代です 史跡・文化財の紹介
^ 古河市公式ホームページ 広報「古河」No.10(2006年7月1日号)古河風土記(連歌師猪苗代兼載)p13
^ 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年、204-207頁(猪苗代兼載)
^ 駅西口前「花桃館」(まちなか再生市民ひろば)にて・ ⇒古河市公式ホームページ 観光・歴史 古河市の観光パンフレットより

参考文献

野木町公式ホームページ

古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年

野木町史編さん委員会 編 『野木町史 歴史編』 野木町、1989年


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