湯島天満宮
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湯島天満宮

拝殿

所在地東京都文京区湯島三丁目30番1号[1]
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分28.3秒 東経139度46分04.2秒 / 北緯35.707861度 東経139.767833度 / 35.707861; 139.767833 (湯島天満宮)座標: 北緯35度42分28.3秒 東経139度46分04.2秒 / 北緯35.707861度 東経139.767833度 / 35.707861; 139.767833 (湯島天満宮)
主祭神天之手力雄命
菅原道真[1]
社格等旧府社
別表神社
創建(伝)雄略天皇2年
本殿の様式権現造
別名湯島天神[1]
例祭5月25日[1]
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湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区湯島三丁目にある天満宮で、菅原道真を含む二柱の祭神を祀る神社。通称は湯島天神(ゆしまてんじん)、旧称は湯島神社(ゆしまじんじゃ)。

旧社格府社で、現在は神社本庁別表神社神紋は「加賀梅鉢紋」。境内梅花の名所として知られる[2]
概要

雄略天皇2年(485年)、勅命により創建されたと伝わり、当初の祭神であった天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)に加えて、南北朝時代正平10年(1355年)2月に郷民が菅原道真を勧請した[3]

江戸時代には幕府の崇敬・庇護を受け、江戸東京における天神信仰の中心となった[3]。学問の神様として知られる菅原道真を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れ、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。

江戸時代から梅の花見の名所であり、第二次世界大戦後は2?3月に「梅まつり」が開かれている[2]。白梅を中心に2024年時点では約200本あるが、終戦直後に植樹されてから老化が進み、木の数やつける花が減っており、湯島天満宮は植え替えや土の入れ替えなどにより庭園化する再生プロジェクトを進めている梅[2]

湯島天満宮の梅を歌った『婦系図』の歌(湯島の白梅)』(1942年 歌唱:藤原亮子・小畑実)[4]は戦中時の歌として大ヒットした。
主祭神[3]

天之手力雄命 (あめのたぢからをのみこと)

菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)

歴史

前述のように、古代から鎮座すると伝わる神社であり、江戸時代には徳川将軍家により朱印地を与えられた[3]歌川広重名所江戸百景』のうち「湯しま天神坂上眺望」。見下ろした先は上野不忍池[5]

明治維新に伴う神仏分離までは、東叡山寛永寺が湯島天満宮の別当であり、別当寺として実務を担ったのは天満宮に近い喜見院であった[3]

明治5年、近代社格制度において明治5年(1873年)にまず郷社とされ、明治18年に府社に昇格した[3]

平成13年(2001年)、神社本庁別表神社に指定された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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