中華人民共和国 広東省 湛江市
旧広州湾フランス公使館
別称:港城
旧称:広州湾
広東省中の湛江市の位置
中心座標 北緯21度12分 東経110度24分 / 北緯21.200度 東経110.400度 / 21.200; 110.400
湛江市(たんこうし)は 中華人民共和国広東省南西部に位置する省直轄市。中国南部の重要な港湾都市で、19世紀末から1945年までフランスの租借地(広州湾租借地)であった。1984年に沿海開放都市に指定され、中華人民共和国の改革開放政策下で最初に対外開放された都市の一つ。 広東省南西部、雷州半島東側付根の広州湾(省都・広州とは無関係)一帯に位置し、熱帯性気候を生かして水稲、サトウキビ、ゴム、コーヒーなどの栽培や漁業、水産養殖業が盛んである。 湛江市区域には5000から6000年前(夏殷時代)には人間の居住が行われており、市内からは新石器時代中晩期の遺跡が発掘されている。 秦始皇帝による中国統一がなされると、湛江地域は象郡の管轄となり、前漢には徐聞県が設置され雷州半島を管轄、合浦に郡治が設置された。南宋末にはモンゴル軍の侵攻を受け多くの住民が海路東南アジア地域へ移住している。元代になると湛江は製塩業で繁栄し、明清代には広東省遂渓県(後に呉川県と改称)の管轄地域となり手工業が発展、特に葛布の生産地として知られた。 日中戦争中は租借地であるため日本軍に占領されなかった湛江は海上貿易の拠点として繁栄したが、1943年2月に日本軍による占領が行われると経済は停滞していった。 日本が敗戦した1945年、フランスは広州湾租借地を中華民国に返還し、同年9月湛江市と改称、1946年1月15日湛江市政府が成立した。 1949年12月、人民解放軍が入城し、広東省直轄市となった。その後いくらかの変遷を経て、1983年12月1日地区と市が合併して現在の湛江市が誕生した。翌1984年には国務院によって沿海開放都市に指定された。 なお、湛江所属の県級市である雷州市は1994年、国家歴史文化名城に指定されている。 中国南部の重要な港湾都市であり、貿易センターとして造船、繊維機械、製糖、プラスチック加工、水産加工など各種工業が発達し、外国からの直接投資も受け入れている。 湛江港は、中華人民共和国が独自に設計した最初の近代的深水港であり、中国と東南アジア、オーストラリア、インド洋沿岸、ヨーロッパ諸国とを結ぶ航路の最も短い外国貿易港である。 中国海軍南海艦隊の司令部が所在する軍港でもある。 4市轄区・3県級市・2県を管轄する。 湛江市の地図
目次
1 地理
2 歴史
3 経済
4 湛江港
5 軍事
6 交通
7 行政区画
7.1 年表
7.1.1 南路専区
7.1.2 湛江市(第1次)
7.1.3 高雷専区
7.1.4 粤西行政区
7.1.5 湛江地区
7.1.6 湛江市(第2次)
8 観光
9 文化
10 姉妹都市
地理
歴史
経済
湛江港
軍事
交通
道路:207国道、325国道
高速道路:茂湛高速道路(茂名市まで)、渝湛高速道路(重慶市まで)がある。
鉄道:黎湛線湛江駅、粤海線湛江西駅
航空:湛江空港
客船:徐聞県の海安港から-海南省海口市にフェリー路線がある。
行政区画
市轄区:
赤坎区・霞山区・坡頭区・麻章区
県級市:
雷州市・廉江市・呉川市
県:
徐聞県・遂渓県
12坡頭区麻章区遂渓県徐聞県廉江市雷州市呉川市1. 赤坎区2. 霞山区
年表
南路専区
1949年10月1日 - 中華人民共和国広東省南路専区が成立。湛江市・遂渓県・廉江県・海康県
1949年10月24日 - 湛江市が地級市の湛江市に昇格。(13県1設治局)
1950年1月12日 - 南路専区が高雷専区に改称。
湛江市(第1次)
1949年10月24日 - 南路専区湛江市が地級市の湛江市に昇格。(1市)
1952年11月 - 一部が分立し、粤西行政区雷東県となる。(1市)
1956年1月4日 - 湛江市が湛江専区に編入。
高雷専区
1950年1月12日 - 南路専区が高雷専区に改称。(9県1設治局)
合浦県の一部が分立し、地級市の北海市となる。