湖月会(こげつかい)は、日露戦争の開戦を推進・画策した外務省、陸軍、海軍の少壮有志によるグループ。名称は1903年(明治36年)5月29日に新橋の湖月楼の土蔵で初会合を開いたことに因み、活動中の名称ではなかったが、その後の呼称となった。メンバーには諸説があり途中参加もあった。1904年(明治38年)2月の日露開戦により、目的を達して自然消滅した[1]。 括弧内は当時の役職・階級。*印は異同のある人物。
メンバー
外務省
石井菊次郎(電信課長) *
落合謙太郎(書記官)
坂田重次郎(書記官)
本多熊太郎(秘書官)
松井慶四郎(書記官) *
山座円次郎(政務局長)
陸軍
井口省吾少将(参謀本部総務部長)
木下宇三郎
田中義一少佐(参謀本部一部)
西川虎次郎少佐(参謀本部三部) *
福島安正少将(参謀本部二部長)
福田雅太郎少佐(参謀本部総務部)
堀内文次郎少佐(参謀本部副官)
松川敏胤大佐(参謀本部一部長) *
海軍
秋山真之中佐(海軍大学教官)
上泉徳弥中佐(軍令部副官)
財部彪少佐(軍令部二局員) *
富岡定恭少将(軍令部一局長)
松井健吉大尉
八代六郎大佐(海軍大学生)
山下源太郎中佐(軍令部)
脚注^ 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典[第2版]』東京大学出版会、2005年、第4部「諸名簿」B-2「湖月会メンバー」。註記によると、宿利重一『児玉源太郎』1942年、長沢直太郎