湖北駅
北口(2018年7月)
こほく
Kohoku
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所在地千葉県我孫子市中里324.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度52分2秒 東経140度4分40秒 / 北緯35.86722度 東経140.07778度 / 35.86722; 140.07778
湖北駅(こほくえき)は、千葉県我孫子市中里にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)成田線(我孫子支線)の駅である。 当駅の近隣に「湖」を正式名称とする湖沼は存在しないが、手賀沼の北に位置していることからとされる。 島式ホーム1面2線を有する地上駅。橋上駅舎を備える。線路は我孫子方ではかなり手前から分岐しており、そこからさらに成田方面行側から側線が分岐している。ホームから見ると上り線奥に側線が2本設置されている。 成田統括センターの直営駅で、管理駅として東我孫子駅 - 小林駅間の各駅を管理している。ただし、お客さまサポートコールシステムが導入されており、早朝・深夜の一部時間帯は遠隔対応のため改札係員は不在となる[2]。また、駅舎内には、多機能券売機[2]・指定席券売機[2]・自動改札機が設置されている。 番線路線方向行先 (出典:JR東日本:駅構内図 2022年(令和4年)度の1日平均乗車人員は3,543人である[JR 1]。 JR東日本及び千葉県統計年鑑によると、近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通り。 年度別1日平均乗車人員[統計 1][統計 2]年度1日平均
歴史
1901年(明治34年)4月1日:成田鉄道(初代)成田 - 我孫子間全通時に開設(旅客・貨物取扱)[1][3]。
1920年(大正9年)9月1日:成田鉄道が買収され、鉄道省の駅となる[1][3]。
1962年(昭和37年)11月1日:貨物取扱廃止[3]。
1970年(昭和45年)12月:駅舎改築。
1973年(昭和48年)10月1日:当駅を含む、成田線我孫子 - 成田間電化完成。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[1][3]。
1995年(平成7年)7月25日:自動改札機を設置し、供用を開始[4]。
2001年(平成13年)
4月1日:南口のエレベーターおよびエスカレーターの供用を開始[5]。
11月18日:ICカード「Suica」の利用が可能となる[広報 1]。
2007年(平成19年)11月19日:駅ホーム内にエレベーターを設置する。
2008年(平成20年)4月:北口のエレベーターおよびエスカレーターの供用を開始[6]。
2024年(令和6年)
3月11日:みどりの窓口の営業を終了[7]。
3月12日:指定席券売機を導入[7]。
駅名の由来
駅構造
のりば
1■ 成田線(我孫子支線)下り成田・千葉・佐原方面
2上り我孫子・上野・東京・品川・水戸方面
信号設備上、1・2番線共に両方面からの到着及び出発が可能。
何らかの理由で一部運休になった場合に列車が当駅折返しになることがある。
ホーム新木寄りにはかつての行商組合が所有していたと思われる「籠載せ台」があり、行商の荷物置き台に利用されている[8]。
かつて1番線外側にはホームの無い待避線(0番線)があり成田空港建設資材輸送の貨物列車が待避に使用していた。また、貨物を取扱っていたため、上り(2番線)出発信号機が電車からは見えにくく、中継信号機が設置されている。
エレベーター設置前の北口(2005年7月)
整備前の南口(2007年8月)
改札口(2018年7月)
ホーム(2021年5月)
利用状況
乗車人員出典
1990年(平成02年)6,545[* 1]
1991年(平成03年)6,670[* 2]
1992年(平成04年)6,604[* 3]
1993年(平成05年)6,529[* 4]
1994年(平成06年)6,305[* 5]
1995年(平成07年)6,194[* 6]
1996年(平成08年)5,997[* 7]
1997年(平成09年)5,725[* 8]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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