港町_(横浜市)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 神奈川県 > 横浜市 > 中区 > 港町

港町
町丁
JR関内駅
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度26分40秒 東経139度38分11秒 / 北緯35.44431度 東経139.63631度 / 35.44431; 139.63631
日本
都道府県 神奈川
市町村 横浜市
行政区中区

人口情報(2024年(令和6年)4月30日現在[1]
 人口42 人
 世帯数30 世帯

面積[2]
 0.052 km²
人口密度807.69 人/km²
設置日1889年明治22年)4月1日
郵便番号231-0017[3]
市外局番045(横浜MA[4]
ナンバープレート横浜
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 神奈川県
ウィキプロジェクト 日本の町・字
テンプレートを表示

港町(みなとちょう)は、神奈川県横浜市中区町名[5]。現行行政地名は港町。「丁目」として1丁目から6丁目までが設けられている。住居表示は未実施[6]。面積は0.052km2[2]
地理

中区の北西部、関内地区の関外寄りに位置する。南東―北西方面の細長い町域を持ち、横浜公園に近い南東側が1丁目となる。南東端は横浜公園、海側に当たる北東側は、港町1?4丁目が真砂町1?4丁目、港町5・6丁目が尾上町5・6丁目に隣接する。南西側は首都高速神奈川1号横羽線の半地下区間(旧:派大岡川)を挟み、1丁目側から不老町万代町蓬莱町羽衣町末広町伊勢佐木町吉田町に接する。北西端は大岡川に突き当たり、対岸は花咲町および桜木町となる。町域に沿いJR根岸線が通り、1?3丁目に関内駅が設けられている。3・4丁目境を国道16号(関内大通り)が貫く。1丁目の旧横浜市庁舎(本庁舎)は真砂町1丁目・尾上町1丁目にまたがって建っていたが、所在地表記は港町1丁目1番地であった[7]。同様に、一部の建築物は真砂町もしくは尾上町とまたがって建てられている場合がある。2?5丁目は飲食店等が多く、割烹「わかな」や天ぷら店「天吉」(いずれも1872年創業)など老舗も店を構える。3丁目にはショッピングセンター「セルテ」(横浜センタービル、1967年開店、所在地は真砂町3丁目[8])、4丁目には丸井馬車道館があったが、丸井は2000年に閉館し、跡地は高層マンションに建て替えられた。6丁目には、横浜市認定歴史的建造物の一つである横浜指路教会(所在地は尾上町6丁目)が建つ[5]
歴史「港町魚市場跡」の碑

元は宗閑嶋と呼ばれる砂州に沿った沼地で、江戸時代に、三河国の太田屋源左衛門により太田屋新田として開墾された。横浜港開港後に街並みが整備され、1871年明治4年)に開港場であることに因んで港町と名付けられた[9]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:61 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef