港南_(東京都港区)
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港南
町丁
品川インターシティ、セントラルガーデン
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度37分53.12秒 東経139度45分1.77秒 / 北緯35.6314222度 東経139.7504917度 / 35.6314222; 139.7504917
日本
都道府県 東京都
特別区 港区
地区芝浦港南地区
面積[1]
 ? 合計2.19 km2
人口(2019年(令和元年)8月1日現在)[2]
 ? 合計20,819人
 ? 密度9,500人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号108-0075[3]
市外局番03[4]
ナンバープレート品川
※座標は港南四丁目交差点付近[5]

港南(こうなん)は、東京都港区町名。現行行政地名は港南一丁目から港南五丁目。芝浦港南地区総合支所管内に属する地域である。郵便番号は108-0075(高輪局管区)[3]
地理

港区南部のJR品川駅東側、東京港に面した沿岸に位置する。ほぼ全域が埋立地であり、北は芝浦および海岸、南は品川区北品川および東品川二丁目(天王洲アイル)、西で高輪、東は東京港を挟んで対岸に台場と隣接する。

町内は、西側の品川駅前周辺にビジネス街が主体の港南一丁目、二丁目、高浜運河を挟んで東側に住居教育施設が主体の港南三丁目と港南四丁目[注釈 1]、さらにその東側の京浜運河を挟んだ港南五丁目に東京港の重要埠頭の一つである品川埠頭を擁する。港区お台場の飛び地を除けば港区の最南端に位置する。
歴史品川グランドコモンズのビル群品川セントラルガーデン

新橋?横浜間に日本最初の鉄道を敷設するために、明治政府により1870年明治3年)から高輪沖の海岸の埋め立てが行われ、造成された土地の上に1872年明治5年)に日本初の鉄道駅として品川駅が誕生したのが、この地域の始まりである。現在の品川駅も当時の品川駅とほぼ同じ位置にある。1912年明治45年)には隅田川口改良工事が始まり、そのとき浚渫された土砂を使って芝浦一帯(現在の港南)の埋め立てが開始された。埋め立ては段階を追って進められ、1939年(昭和14年)には芝高浜町、芝海岸通り(現在の港南一丁目から四丁目エリア)の埋め立てが完成した[6]

町域内には戦前より東京市東京都の施設(東京都下水道局芝浦水再生センター・都建設局の倉庫・都再生油工場・都家畜飼育場・都芝浦屠場など)が立ち並び、品川駅に接している割には長い間人通りのほとんどない寂しい場所であった[注釈 2]

しかし、品川貨物ターミナルや新幹線車両基地(旧東京第一車両所、1992年移転)の跡地再開発が始まってからは1998年品川インターシティ2003年品川グランドコモンズがオープンし、オフィスビル商業施設が建ち並ぶようになり、さらに2003年10月に東海道新幹線品川駅が開業したことで名古屋関西地区とのアクセスが向上、もともと羽田空港に近いこともあり、企業が次々と本社を移転し、現在では都内でも有数のビジネス街となった。港区であるが、地域内のビル・マンションなどに、品川駅に因んだ「品川」を名乗る施設・建築物が多い。

また、港南三丁目から四丁目では2000年代に企業が保有していた倉庫や工場跡地などの遊休資産を売却、不動産デベロッパーによる再開発でタワーマンションの建設ラッシュが進んでタワーマンション街となって人口が急増した。2014年には東京都によって「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン」が策定され、本地域は「これからの日本の成長を牽引する国際交流拠点・品川」として@国内外のビジネスパーソンの活力にあふれる最も進んだビジネスのまち、A世界の人々が集い交わる文化・知の交流のまち、B世界に向けた次世代型の環境都市づくりを実現するまち、の3つのコンセプトの下で、さらなる都市基盤整備が進められている[7]

2020年には、港南二丁目の車両基地跡地付近に山手線京浜東北線高輪ゲートウェイ駅が開業、周辺には2024年までに新たに宿泊施設国際会議場を含むオフィスビルマンションコンサートホールなど7棟が建設される予定である[8]。また、品川駅港南口の東海道新幹線品川駅ホーム直下40mの大深度地下では、2027年に開業予定のリニア中央新幹線品川駅の建設工事が進行中である[9][10]
地名の由来

1965年(昭和40年)の住居表示実施の際、港区の南に位置していることから名付けられた[11]。なお、それより前の1963年(昭和38年)には既に港南中学校、都営港南団地があり、そちらを由来とする説もある。
沿革

1853年嘉永6年)、ペリー来航により危機感を抱いた江戸幕府が、江戸防衛のため現在の港南に当たる地区に台場(品海砲台)を建設する。(台場の歴史についてはお台場を参照のこと)

1912年明治45年)、隅田川口改良工事が始まり、そのとき浚渫された土砂を使って芝浦一帯(現在の港南)の埋め立てが開始される。

1933年昭和8年)11月16日、高輪海岸埋立地に高浜町が起立され、東京市芝区の所属となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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