港区立芝小学校
Shiba Elementary School
港区立芝小学校
(2016年2月4日撮影)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分4.6秒 東経139度45分0.56秒 / 北緯35.651278度 東経139.7501556度 / 35.651278; 139.7501556
港区立芝小学校(みなとくりつ しばしょうがっこう)は、東京都港区芝二丁目に所在する公立小学校。 港区立芝小学校は、設立が1879年(明治12年)と、140年以上の歴史がある港区内で最も歴史がある公立小学校の一校であり、港区立小学校で唯一制服がある。(男子はブレザーと半ズボン、女子はブレザーとスカート) 周囲には教育施設等も多く、北側至近には増上寺と芝公園が、西側隣接地には戸板女子短期大学が、西側には慶應義塾大学と東京都立三田高等学校が、南側には芝国際中学高等学校などが立地する。 交通の便が極めて良く、東側にはJR山手線と京浜東北線の田町駅、都営浅草線の三田駅が走り、西側を都営三田線の芝公園駅と日比谷通りが、北側には都営大江戸線の赤羽橋駅と首都高速都心環状線等が走っている。 また芝小学校からの指定中学校は港区立三田中学校だが近年港区御成門学園(港区立御成門中学校)に通学する人が多くなっている
概要
沿革
1879年(明治12年) - 芝区新堀町31番地に第一大学区東京府第二中学区第三十九番公立小学芝学校として開校した。
1896年(明治29年) - 2階建の木造校舎が完成した。
1900年(明治33年) - 学校制度が改制される。
1908年(明治41年) - 芝尋常小学校と改称される。
1923年(大正12年)
開校以来、児童数1,802名、学級数31と最大となる。
9月1日 - 関東大震災の被害を免れる。約2万人の避難者を収容、火災で焼けた各学校の連絡事務所となる。
1926年(大正15年) - 児童数の増加にともない、二部授業が始まる。赤羽小学校へ300名が移動、二部授業を取止める。
1929年(昭和4年)- 児童数の増加にともない、竹芝小学校へ児童282名が移動した。
1941年(昭和16年) - 芝国民学校と改称される。
1944年(昭和19年) - 火災発生し校舎が全焼した。
1947年(昭和22年)4月 - 東京都港区立芝小学校と改称され、学校教育法による「6・3・3制」が始まる。
1963年(昭和38年) - 鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成した。
1983年(昭和58年) - 新しい校舎が完成した[1]。
1989年(平成元年) - 竹芝小学校
教育方針
教育目標
「やさしい子」「よく考える子」「げんきな子」
小学校の児童数と教員数[3]
年度児童総数1年生2年生3年生4年生5年生6年生教員数職員数
平成23年400人60人69人70人64人71人66人20人6人
平成24年395人60人62人68人70人64人71人20人4人
平成25年380人61人61人59人68人71人60人18人4人
平成26年379人61人58人61人58人68人73人18人4人
平成27年373人65人62人59人61人58人68人19人4人
平成28年377人61人68人66人60人64人58人20人2人
平成29年387人64人61人70人68人61人63人20人4人
平成30年378人60人66人58人67人67人60人20人4人
令和元年393人71人59人66人58人72人67人20人3人
令和2年403人77人71人60人67人58人70人20人3人
令和3年421人86人76人73人60人66人60人24人3人
令和4年442人89人83人74人71人60人65人24人2人
令和5年450人81人89人84人74人65人57人26人5人
通学区域
住所別通学区域(平成27年4月1日から適用)[4]
芝一丁目、二丁目芝三丁目芝四丁目芝浦一丁目海岸二丁目
全域4 - 6番全域1 - 5番全域
進学先中学校(平成27年4月1日から適用)[4]
小学校学校名中学校学校名
港区立芝小学校港区立三田中学校
交通
鉄道