渭南郡(いなん-ぐん)は、紀元前205年から前198年までと、6世紀頃に、現在の中国の陝西省に置かれた郡である。 前漢の高祖2年(前205年)に塞国を廃して置かれ、高祖9年(前198年)に廃止して内史の管轄下に移した。北を渭水、南を秦嶺山脈に区切られた東西に細長い地域で、西は都の長安、東は渭水と黄河の合流点に及ぶ。隷下の県は以下の10県または9県[1]。 南北朝時代に北魏(386年 - 534年)が渭南県を治所として渭南郡を置いた。北周(556年 - 581年)のとき廃止になった[5]。
前漢
長安県 - 高祖5年(前202年)設置
新豊県 - 高祖7年(前200年)設置
船司空県
藍田県
寧秦県 - 高祖8年(前199年)に華陰県と改称
鄭県
胡県 - 後の建元年間(前140年から前135年)に湖県に改称
下?県
杜県 - 後の元康元年(前65年)に杜陵県に改称[2]
?陽県 - 後の文帝9年(前171年)に覇陵県に改称[3]。?陽県はなかったという説もある[4]。
北魏・西魏・北周
行政長官
北周の渭南郡太守
達奚長儒 - 天和年間(566年 - 572年)[6]
田式
薛?
脚注^ 県の一覧とも、『漢書』地理志第8上。ちくま学芸文庫『漢書』3、276-277頁。
^ 『漢書』宣帝紀第8。ちくま学芸文庫『漢書』1、247頁。
^ 『史記』漢興以来将相名臣年表、文帝9年の欄。
^ 陳力「漢の長安城周辺の集落」11頁。
^ 『隋書』志第24地理上。「 ⇒漢籍全文資料庫」、2017年5月閲覧。
^ 『北史』列伝第61達奚長儒。「漢籍全文資料庫」、2017年5月閲覧。
^ 『北史』列伝第75酷吏。「漢籍全文資料庫」、2017年5月閲覧。
^ 『北史』列伝第24薛弁・薛ゥ・薛?。「漢籍全文資料庫」、2017年5月閲覧。
参考文献
司馬遷『史記』。
班固『漢書』。小竹武夫訳注『漢書』3、筑摩書店(ちくま学芸文庫)、1998年。
李大師