渡辺霞亭
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渡辺 霞亭
わたなべ かてい
ペンネーム碧瑠璃園 へきるりえん
緑園 りょくえん
黒法師 くろほうし
黒頭巾 くろずきん
無名氏 むめいし
春帆楼主人 しゅんぱんろうしゅじん
哉乎翁 さいやおう
朝霞隠士 ちょうかいんし
誕生渡辺 勝 わたなべ まさる
1864年12月18日
日本 尾張国尾張藩名古屋愛知県名古屋市
死没 (1926-04-07) 1926年4月7日(61歳没)
墓地名古屋市平和公園の共同墓地礼拝堂
職業小説家新聞記者、演劇評論家、蔵書家
国籍 日本
ジャンル歴史小説家庭小説
代表作『渦巻
『大石内蔵助』
『想夫憐』
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渡辺 霞亭(渡邊 霞亭、わたなべ かてい、元治元年11月20日 / 1864年12月18日 - 1926年4月7日[1])は、日本の小説家新聞記者、演劇評論家、蔵書家である。本名は渡辺 勝(わたなべ まさる)、多数の別号を持ち、碧瑠璃園(へきるりえん)、緑園(りょくえん)、黒法師(くろほうし)、黒頭巾(くろずきん)、無名氏(むめいし)、春帆楼主人(しゅんぱんろうしゅじん)、哉乎翁(さいやおう)、朝霞隠士(ちょうかいんし)などと名乗った[1]
人物・来歴

尾張国名古屋に、尾張藩士・渡邊源吾、妻たけの子として生まれる[1]。父源吾の兄に、尾張藩御年寄列を務めた後に青松葉事件で処刑された渡辺新左衛門在綱がいる。

品野小学校を卒業、名古屋好生館に進学した[1]。満16歳にして1881年(明治14年)、岐阜日日新聞社に『岐阜日日新聞』文芸欄主任として入社する[1]。満22歳になる1886年(明治19年)、名古屋の『金城新報』の編集長に就任する[1]。1887年(明治20年)、東京に移り、『燈新聞』に移籍、翌1888年(明治21年)、燈新聞が大阪朝日新聞社に買収され、『東京朝日新聞』になる[1]。その際に『絵入自由新聞』に移籍するが、すぐに復帰した[1]

満26歳になる1890年(明治23年)、『大阪朝日新聞』に招かれ、連載小説を量産する[1]。社業とは別に、1891年(明治24年)に本吉欠伸、西村天囚らと雑誌『なにはがた』を創刊している[1]。同誌を通じて、関西の文学振興に尽力した[1]。1907年(明治40年)に発表した小説『大石内蔵助』、1913年 - 1914年(大正2年 - 同3年)に連載した『渦巻』が代表作で[1]、いずれも映画化されている。

江戸文学を収集し、書画骨董に造詣が深かった[1]

1926年(大正15年)4月7日、死去した[1]。満61歳没。

アルフォンス・ドーデの『サホー』を訳したもののみが収録されている『明治翻訳文学全集 新聞雑誌編 29』を除いて、すべての書籍が絶版であり、青空文庫にも収録されていない[2]国立国会図書館の「国立国会図書館デジタルコレクション」には、124冊の著書がデジタル画像で公開されており、閲覧・ダウンロードが可能である[3]
ビブリオグラフィ

国立国会図書館蔵書[4]

『蓮の巻葉』、明進堂、1889年8月

『小説叢』第1・2冊、小説館、1889年

『思の種』、鈴木金輔、1890年5月

『浮世』、金港堂、1891年12月

『浪花侠客』、図書出版会社、1891年10月

『萩の戸』、図書出版会社、1891年10月

『菊合』、図書出版会社、1892年1月

『細君十種』、図書出版会社、1892年10月

『花珊瑚』、図書出版会社、1892年7月

『引鶴』、図書出版会社、1892年5月

『四君子』、明文館、1892年2月

『小説一粒撰、明文館、1892年9月

『玉手水』、飯井万助、1892年4月

『網代木』、図書出版、1893年5月

『お家物語』、図書出版、1893年5月

『落武者』、図書出版、1893年3月

『女武者』、積善館、1893年3月

『義民新太郎』、鍾美堂、1893年9月

『金屏風』、図書出版、1893年10月

『三人同胞』、駸々堂、1893年10月

『時雨傘』、図書出版、1893年1月

『新梅鉢』、積善館、1893年9月

『渡辺勘兵衛』、図書出版、1893年7月

『臥竜梅、図書出版、1893年1月


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