渡辺英樹
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NHKの元アナウンサーの「渡辺英紀」とは別人です。

.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}渡辺(わたなべ) 英樹(ひでき)
生誕 (1960-02-01) 1960年2月1日
出身地 日本 東京都文京区
死没 (2015-07-13) 2015年7月13日(55歳没)
ジャンルロック
職業歌手
ベーシスト
担当楽器
ベース
活動期間1979年 - 2015年
共同作業者

C-C-B

VoThM

三喜屋・野村モーター's BAND

THE GATES

AJ-米田渡-

公式サイト渡辺英樹ブログ オフィシャルブログ『COLORS』
著名使用楽器
スタインバーガー
YAMAHA MOTION-B MB-II
YAMAHA MOTION-B MBX
Riverhead UNICORN RUB-1095 Fretless
Riverhead JUPITER RJB-1300JJ Fretless
Warwick Thumb Bass
Freedom Custom Guitar Research RRB
ビートルズ

渡辺 英樹(わたなべ ひでき、1960年昭和35年)2月1日 - 2015年平成27年)7月13日)は、日本ミュージシャンベーシスト。身長167p。

1980年代に活動していたバンド、C-C-B(シー シー ビー)のリーダーである。1989年のC-C-B解散後、新たなバンド「VoThM(ヴォズム)」を結成してリーダーを務める。その他、ミュージシャンと積極的にセッションなど行っていた。また、C-C-Bの元メンバーとユニットを組んでライブを行っていた(詳細はC-C-Bメンバーによる別プロジェクトでの活動などを参照)。
来歴

東京都文京区出身、文京区立誠之小学校文京区立第六中学校卒業。帝京高校中退。都立小石川高校へ編入(定時制、1978年3月卒業)。3人兄弟の長男。実家は米販売店を営んでいた(2013年(平成25年)8月3日をもって閉店)。

中学時代からアマチュアバンド活動を始める。10代半ば頃からライブハウスなどに出演。ベーシストとして頭角を現すようになり、プロのミュージシャンへの誘いを受けるようになる。

1977年(昭和52年)頃、のちに共にC-C-Bのメンバーとなる田口智治笠浩二らと知り合う。

1979年(昭和54年)、ブルーベリー・ジャムに二代目ベーシストとして加入、プロデビュー。1981年まで在籍した。

1982年(昭和57年)、CoconutBoysを結成しリーダーに就任。1983年(昭和58年)、シングル『Candy』でメジャーデビュー。

1985年(昭和60年)、C-C-B名義でリリースした3rdシングル『Romanticが止まらない』がヒット。1989年(平成元年)10月に同バンドが解散するまでリーダーを務めあげた。

1989年(平成元年)、C-C-B解散後、元BEE PUBLICの丸山正剛、田中裕二と新たなバンド”VoThM”を結成。1991年(平成3年)、インディーズレーベルよりアルバム『VoThM』をリリース。

1993年(平成5年)11月、テイチクレコードよりシングル『SALLA』でメジャーデビュー。

2007年(平成19年)6月公開の北野武監督の映画『監督・ばんざい!』の劇中音楽の編曲・演奏を野村義男とのユニット『三喜屋・野村モーター'S BAND』で担当した。

2009年(平成21年)、榊原利彦が主催する『劇団レッド・フェイス』の舞台「七慟伽藍」にゲスト演者として登場、武田信玄を演じた。

2014年(平成26年)2月、肺気胸を患い数日入院(翌月にはライブに復帰)。長年愛煙家であったが、これを機に禁煙をした。

2015年(平成27年)

6月12日夜、自宅で嘔吐感を訴え救急搬送された。搬送先の病院で大動脈解離の診断を受け緊急手術を受けた。
26年ぶりのC-C-B名義でのライブツアー(「C-C-B#解散後の活動」項参照)を2日後(6月14日)から控えていたが、全公演中止となった[1]

6月17日、依然経過観察中であるものの、容体が安定してきたことを公式ブログで報告した[2]

7月17日、公式ブログで、渡辺が急性大動脈解離による多臓器不全のため、2015年7月13日18時5分に死去したこと、すでに近親者のみで通夜および告別式を執り行ったことを報告すると同時に、プロデューサーの松木隆裕がファックスでマスコミ各社に発表した[注釈 1][3][4][5]。55歳没。

8月10日に新宿BLAZEで『お別れの会』と冠し、二部制の式典が行われた。第一部はチケットが無くても参加できる献花式[注釈 2]、第二部は渡辺と縁の深かったミュージシャンがステージにあがり、ステージ後方に設置されたスクリーンに映し出された渡辺のかつてのライブ映像と“共演”した。ライブの模様の一部はニコニコ生放送で生中継され、視聴者:26,646人、コメント数:20,800を記録した[6]
また、80年代に音楽番組などで数多く共演したバンド「チェッカーズ」のメンバーである武内享鶴久政治は各々のツイッターを通じて追悼の言葉を投稿した[7][8]

2016年から命日である7月13日に、渡辺と縁のあったミュージシャンが集い、ライブを行うことが恒例となっていた。しかし、2022年12月に笠浩二が死去したこともあり、2023年から今までのような規模のライブを一旦休止・縮小して行うことになった(2023年は丸山と木村による2人VoThM名義でライブを行う予定)。

2020年(令和2年)7月13日、C-C-B&VoThM&三喜屋野村モータースバンド『ヒデキカンレキ!祭』が新宿BLAZEにて催された[注釈 3]。ただし、2019年より猛威を振るっている2019新型コロナウイルスによる感染拡大の状況を受け[注釈 4]、本来の収容人数よりも大きく座席数を減らして100名限定・指定席、客席間もいわゆるソーシャルディスタンスに準じて間隔を確保、観客全員にフェイスシールドが配布され、マスク装着と併せて徹底させるなど例年とは異なる措置がされた。なお、ライブの模様は有料生配信された。

七回忌となる2021年(令和3年)7月13日、C-C-B&VoThM&三喜屋・野村モーター's BAND『ウルトラヒデキセブン』を新宿BLAZEにて開催した[注釈 5]


誕生日である2月1日には、野村義男主催の”三喜屋・野村モーター'S BAND フィルムライブバージョン”と銘打ったトークライブを開催している。

人物

他のミュージシャンとの交流も多く、
音楽ユニットやセッションなどを精力的に行っていた。

音楽活動だけに留まらず、ラジオパーソリティやバラエティ番組の司会、芝居にも挑戦した。

小学生の頃からサッカーに夢中で練習をしていた。高校サッカー強豪校の帝京高校に入学するが、サッカー部入部希望者が100人をゆうに超え、また、入部条件のひとつに丸刈り(1970年代当時)があった。

私生活ではC-C-B解散直前に客室乗務員をしていた女性と結婚したが、後に離婚。女児ふたりは渡辺が引きとった。子どもが通う小学校ではPTA会長も務め、積極的に行事に参加した。

渡辺の参加するユニットのグッズ制作などを行っていた会社が運営するミュージックスクールで月に一度、ベース教室の講師をしていた(2006年 - 2012年まで)[9]

主な活動履歴
C-C-B以前

※10代の頃よりいくつかのバンドに所属。本項では特筆に値するものを記載している。
ブルーベリー・ジャム1977年に結成、1978年4月21日にキティ・レコードよりメジャーデビューしたバンド。渡辺は1979年6月に二代目のベーシストとして加入。1981年に同バンドが解散するまで在籍した。


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