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渡辺 美里
基本情報
出生名渡辺 美里
別名MISATO, misato
生誕 (1966-07-12) 1966年7月12日(57歳) 日本・京都府相楽郡精華町
出身地 日本・東京都
学歴東京都立松原高等学校
ジャンルニューミュージック
J-POP
ロック
職業歌手
活動期間1985年 -
レーベルエピックレコードジャパン
事務所ララマハロ
共同作業者小坂洋二
(1985年 - 1999年)
有賀啓雄
(2000年 - 2007年)
公式サイトmisatowatanabe.com
渡辺 美里(わたなべ みさと、1966年7月12日[1] - )は、日本の歌手・作詞家・シンガーソングライターである。
本名同じ。東京都育ち。出生地は京都府相楽郡精華町。身長は158cm(公称)。所属事務所はHeartland(1983年 - 1995年) → アンティノスマネージメント(1995年 - 2004年3月) → ブルーワンミュージック(2004年5月 - 2006年3月) → ニューカム(2006年4月 - 2007年5月14日) → ララマハロ(2007年5月15日 - 、自身の個人事務所)。 東京都立松原高等学校卒業。血液型はO型。高校時代はラグビー部のマネージャー。高校の先輩に清水信之、EPO、佐橋佳幸らがいる。 1985年、EPIC・ソニー(現エピックレコードジャパン)からデビュー。渡辺が初期に所属していた芸能事務所Heartlandの先輩でもある白井貴子の成功を受け“第二の白井貴子”としての側面もあったが、1986年のシングル「My Revolution」のヒットにより一躍人気ソロシンガーとしての地位を築く。デビュー翌年から西武ライオンズ球場、大阪スタヂアム、ナゴヤ球場などで大規模なコンサートを行い、スタジアムでの物怖じしないパフォーマンスが当時のリスナーに支持を得た。また、ラジオパーソナリティーとしても知られており、TBSラジオ「スーパーギャング」など多数のレギュラー番組を担当。一時期は週に4本ものレギュラーラジオ番組を持ち、アイドルとは違った形のガールズポップの先駆者的シンガーとして活躍。また、1980年代後半から1990年代前半頃は佐野元春、大江千里、岡村靖幸、TM NETWORK、大沢誉志幸、小比類巻かほる等と共にエピックの稼ぎ頭的なアーティストとしても知られていた。 オリコンによれば、シングルランキング1位獲得は2作品にとどまっている一方(2位は8作品)、アルバムランキングは9作品が1位を獲得しており、このことからしばしばアルバム・アーティストなどと形容されることがある。また、アルバム連続1位獲得年数ランキングでは、松田聖子、中森明菜、B'zらと並び、歴代5位(タイ記録)の8年連続1位獲得という記録を持つ。 渡辺の楽曲の提供やプロデュースを担当している主なミュージシャンやプロデューサーに小室哲哉、岡村靖幸、木根尚登、伊秩弘将、石井妥師、大江千里、後藤次利、小林武史や渡辺と同じ高校の先輩である清水や佐橋等が居り、彼らは渡辺への楽曲提供やプロデュースで人気に火が付いた。 デビュー以来レーベル移籍は一度も行われておらず、一貫してエピックに所属している。因みにデビュー以来エピックに於ける同一のレーベル且つ長年に亘り所属している歌手は他に鈴木雅之等が居る[注釈 1]。互いに長らく共演する事は極稀であったが、2011年に行われた自身のイベント『美里祭り2011』において鈴木と初共演を果たし、鈴木の代表曲「ロンリー・チャップリン」を熱唱している[2]。 後述の西武ライオンズ球場でのライブが縁でプロ野球は埼玉西武ライオンズのファンである。
人物
来歴
デビュー前からデビュー10周年まで
1983年
高校の仲間とアマチュアバンドを結成。学園祭でステージに立つ。
1984年
第3回ミス・セブンティーンコンテスト(応募者数 全国18万325人)に参加し、最優秀歌唱賞を受賞。歌唱曲は高校の先輩でもあるEPOの楽曲「土曜の夜はパラダイス」。渡辺は受賞後のインタビューで好きな歌手はと問われ「セックス・ピストルズ」と返答[3]。同コンテストの同期には国生さゆり、工藤静香、松本典子、網浜直子、藤原理恵、斉藤さおりなどがいる。
Seventeen (日本の雑誌)のモデルとして活動していた。
1985年
4月、MBSラジオ『ヤングタウン』(水曜日)のパーソナリティーを、原田伸郎、北野誠らと共に務める。
5月2日、シングル「I'm free」(TBS系ドラマ『スーパーポリス』主題歌)でEPIC・ソニーよりメジャーデビュー。
6月15日、国立競技場でのイベント「All Together Now」で白井貴子のコーラスとして参加する。
9月22日、名古屋ハートランドスタジオを皮切りにライブハウスツアー『GROWIN' UP LIVE』がスタート(全国7か所7公演)。
10月2日、デビューアルバム『eyes』をリリース。
11月17日、大阪厚生年金会館中ホールで自身初のホールコンサート。
1986年
1月22日、小室哲哉作曲の「My Revolution」(TBS系ドラマ『セーラー服通り』主題歌)をリリース。3月24日付のオリコンシングルチャート第1位を獲得。同曲は約70万枚(オリコン記録では44.5万枚)を売り上げ「出世作」となった。また、渡辺自身現時点で最大のヒット曲でもある。
2月27日、TBS系『ザ・ベストテン』で「My Revolution」が5位にランクイン。生放送初出演となる。
3月、TM NETWORKの3rdアルバム『GORILLA』のレコーディングにコーラス参加。
4月8日、札幌市民会館を皮切りにライブツアー『My Revolution/19歳の秘かな欲望』がスタート(全国18か所19公演)。
5月20日、音楽イベント「ダンス天国」で佐野元春と「So Young」 をデュエット。
7月2日、2ndアルバム『Lovin' you』をリリース。邦楽ソロアーティストとして初の2枚組オリジナルCDとなる。
7月23日、フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に初出演。「Long Night」を歌う。高校時代にマネージャーを務めていたラグビー部のメンバーたちとご対面(番組恒例企画)。
8月2日、大阪スタヂアムを皮切りに、名古屋城深井丸広場
9月2日、広島郵便貯金会館を皮切りにツアー『Steppin' Now Tour』がスタート(全国38か所39公演)。しかし、ツアー中に声帯ポリープにかかり、中断を余儀なくされた。
12月21日、日本武道館で行われたTBS開局35周年記念イベント「アニバーサリーロックフェスティバル」に参加。TM NETWORKとジョイントライブを行った。
1987年
2月、日本武道館を含むアリーナツアー『Steppin' Now Special』を行う(大阪・名古屋・東京6公演)。
2月、大江千里の初武道館ライブ『AVECツアー』にゲスト出演する(「本降りになったら」でデュエット)。
6月24日、磐田市民会館を皮切りにコンサートツアー『SKIP TOUR』がスタート(全国49か所49公演)。
8月5日、イベントライブ「広島平和コンサート ALIVE HIROSHIMA 1987-1997」に参加。他の参加アーティストは、尾崎豊、安全地帯、HOUND DOG、BARBEE BOYS、THE BLUE HEARTS、久保田利伸、岡村靖幸など。
8月22日、熊本県・阿蘇アスペクタで開催された音楽イベント「BEAT CHILD」に参加。
12月24日、日本テレビ『木曜スペシャル MERRY X'MAS SHOW '87』にて泉谷しげると「2人のFOUR SEASONS」(作詞/桑田佳祐+泉谷しげる、作曲/桑田佳祐、編曲/小林武史)をデュエット。同番組には、松任谷由実、アン・ルイス、吉川晃司、鈴木雅之、Char、小泉今日子、忌野清志郎、鮎川誠、坂崎幸之助、桜井賢、前田亘輝、爆風スランプ、BARBEE BOYS、米米CLUBなども出演した。
1988年
1月14日、TBS系『ザ・ベストテン』で「悲しいね」が7位にランクイン。苗場プリンスホテルより生中継。
3月11日、国立代々木第一体育館を含むアリーナツアー“SPECIAL CONCERT「OH!」”を行う(名古屋・大阪・東京6公演)。
4月21日、シングル「恋したっていいじゃない」をリリース。自身初のCDシングル盤となる。UCC缶コーヒーキャンペーンソングとなり同CMに本人が出演。
4月29日、日清パワーステーションで行われた岡村靖幸のライブに飛び入り参加。
5月9日、日本テレビ系『歌のトップテン』で「恋したっていいじゃない」がランクイン。日清パワーステーションより生中継。