わたなべ しげる
渡辺繁
生誕 (1957-04-14) 1957年4月14日(67歳)
福島県平市
職業映像プロデューサー
会社経営者
受賞第21回藤本賞奨励賞
第9回アニメーション神戸特別賞
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渡辺 繁(わたなべ しげる、1957年4月14日[1] - )は、日本の実業家、アニメーションプロデューサー。福島県平市(現:いわき市)出身[2][3]。株式会社スカイフォール専務取締役[2]。 大学卒業後、1981年にバンダイグループのポピーに入社し、村上克司の下で怪獣ブーム再来を狙った「リアルホビー[4]」の企画開発に携わる[5]。 1983年3月、映像事業立ち上げのためバンダイ・フロンティア事業部へ異動し、特撮・アニメを中心としたビデオレーベル「EMOTION」の設立[5]、世界初のOVA『ダロス』製作[6]、特撮専門誌「シネフェックス (Cinefex
略歴
1997年6月、バンダイビジュアル取締役社長に就任[9]。同年10月、大型プロジェクト「デジタルエンジン構想」を発表する[10]。
1999年5月、同社専務取締役映像事業部本部長に異動[9]。「映像ソフト作りに直接関わりたい」ため、2年間で社長退任を申し出る[11]。
2001年、第21回藤本賞奨励賞を受賞[12]。2004年、第9回アニメーション神戸特別賞を受賞[13]。
2006年3月、エモーション(旧エモーションミュージック)取締役社長に就任[14]。
2011年、東日本大震災発生とともに30年勤務したバンダイナムコグループを退社[2]。
2018年、元アニプレックス・A-1 Pictures社長の植田益朗と株式会社スカイフォール (Skyfall) を設立。 出典:映画.com[1]
エピソード
大学時代にウルトラマンの着ぐるみショーのアルバイトをした時、夢中でショーを観ている子供の瞳がきれいで、「ウルトラマンのようなヒーローを作りたい」と思った[15]。ショーが終わって着ぐるみを脱ぐと中に「ポピー」とスポンサー名が書いてあり、こういう会社ならヒーローが作れると思い、親会社のバンダイの入社試験を受けた[15]。
バンダイが映像事業に参入したのは、六本木に設営していたアンテナショップが大赤字になり、「うちはメーカーだから、何かを作って赤字を埋めよう」「ビデオはどうだ?」と考えたため[16]。渡辺は「映画に詳しいようだから」という大まかな理由で、ポピーから転属を命じられた[16]。当初は予算もノウハウも無く、メジャー映画の版権など買えないので、まだニッチなジャンルだったアニメを取り扱うことになった[16]。
EMOTIONレーベル設立にあたり、渡辺はイースター島のモアイ像をモチーフにしたロゴマークを考案した(デザインは読売広告社のデザイナーに依頼した)[5]。高校時代に見たNHK放送開始50周年記念番組「未来への遺産」で紹介されたモアイ像がヒントになったという[5]。デザイン初案ではモアイ像は1体のみだったが、「人々の顔」にみえるよう、大小2体を並べるデザインにした[5]。また、ポピー時代から培ってきた反骨精神のあらわれとして、バンダイのロゴマーク(赤い四角形の中に白文字の「BANDAI」)に対抗して、三角形の中に黄色と紺色という配色にした[7]。
元バンダイナムコゲームス社長の鵜之澤伸は、1981年の同期入社組。EMOTIONレーベル設立時、渡辺はホビー事業部から鵜之澤を獲得するためバンダイ創業者の山科直治会長宅に出向いて直談判した[17]。
バンダイの『王立宇宙軍』製作は、DAICON FILMの岡田斗司夫が渡辺のところへ企画書を持ち込んだことから始まる(渡辺はポピーでリアルホビーを担当していた頃、ゼネラルプロダクツ関係者と知り合った)[18]。渡辺は映画作りの素人ながら、役員会へのプレゼンテーションから作品完成まで3年間、GAINAXの制作を献身的にサポートした[19][20][21][22]。映画公開後は燃え尽き症候群から鬱病になり、7カ月間会社を休職した[23]。この頃の経験があまりにも濃すぎたので、『トップをねらえ2!』まで16?17年間はGAINAX作品に携わらなかった[15]。
作品