渡辺直人
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

渡邊直人」あるいは「渡辺猶人」とは別人です。

渡辺 直人東北楽天ゴールデンイーグルス ヘッドコーチ #74
2023年5月
基本情報
国籍 日本
出身地茨城県牛久市
生年月日 (1980-10-15) 1980年10月15日(43歳)
身長
体重173 cm
73 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション内野手
プロ入り2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場2007年4月17日
最終出場2020年11月6日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


茨城県立牛久高等学校

城西大学

三菱ふそう川崎

東北楽天ゴールデンイーグルス (2007 - 2010)

横浜ベイスターズ
横浜DeNAベイスターズ
(2011 - 2013)

埼玉西武ライオンズ (2013 - 2017)

東北楽天ゴールデンイーグルス (2018 - 2020)

コーチ歴


東北楽天ゴールデンイーグルス (2020 - )

この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

渡辺 直人(わたなべ なおと、1980年10月15日 - )は、茨城県牛久市出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

現役最終年の2020年[1]には楽天の現役選手として初めて一軍打撃コーチを兼務した[2]
経歴
プロ入り前

小学3年時から軟式野球を始める。

牛久市立下根中学校牛久高等学校から城西大学[3]へ進み、3年秋に明治神宮大会の同校初出場で準優勝に貢献。4年春はベストナイン遊撃手。三菱ふそう川崎に入社。入社後は遊撃手として、1年目と3年目に都市対抗野球大会での優勝を経験した。2004年東京スポニチ大会では大会新記録となる打率を記録[4]。4年目の2006年には、第16回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表として全9試合に出場。打率.357を記録したほか、社会人ベストナインに選ばれた。

2006年のNPB大学生・社会人ドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスから5巡目で指名を受け、契約金5500万円、年俸1200万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は、三菱ふそう川崎時代と同じ2。
第一次楽天時代

2007年は開幕を二軍で迎えたが、4月17日に一軍登録され、同日の福岡ソフトバンクホークス戦7回裏にリック・ショート代走として一軍初出場し、8回表からは遊撃の守備に就いた。翌18日には遊撃手として初めて先発出場し、3回裏の初打席は杉内俊哉の初球を二塁ゴロ、7回裏にはプロ初安打となる一塁内野安打で出塁し、鷹野史寿の右前安打で一塁から生還、初得点。7月24日の埼玉西武ライオンズ戦の9回表に初本塁打を記録するなど遊撃手のレギュラーとなった。8月23日の千葉ロッテマリーンズ戦で、サヨナラエラーを含む3失策をしている。打率は3割前後を保ち、一時は新人王有力候補とも言われた。後半は鉄平に代わって1番を務めることも増え、最終的な打率は.268、リーグ7位の25盗塁、成功率.833。新人として両リーグ唯一で、楽天の生え抜き選手としては初めての規定打席となった。三振率.105はチームメイトのリックと並んでリーグ最少。

2008年1月30日、球団から結婚が発表された。3月20日の開幕戦に1番・遊撃手で初の開幕スタメン出場。「出塁率を上げる」という目標から打席で粘って四死球で出塁というスタイルで高出塁率を維持。一時期は打率が2割台ながら出塁率が4割を超えていた時期もあった。しかし、セ・パ交流戦で三盗の際ヘッドスライディングをした際に肩を負傷。怪我の影響で打撃不振に陥り、後半は下位打線を打ったり他の選手にスタメンを譲ることが多くなった。打率は.251と規定打席到達では26位と振るわなかったものの、盗塁数は前年より増えて34盗塁とリーグ2位、盗塁成功率は.850であった。死球は22個とダントツだった(シーズン記録では2004年城島健司と同数の5位)。

2009年の開幕戦は「9番・遊撃手」で出場。6月5日の東京ヤクルトスワローズ戦で6回裏には、小坂誠が遊撃の守備に、渡辺が初めて二塁の守備に就き、翌6日には二塁手として先発出場した。1番の他に2番での先発出場も多くなり、3年連続でチームトップとなる26盗塁を記録。このシーズンは守備が安定し、6失策と初めて失策が一桁に止まり、守備率.988でリーグトップを記録した。

2010年は115試合に出場したものの、新監督のマーティ・ブラウンの若手重視の起用と自身の不調が重なって規定打席には到達せず、成績も全体的に過去最低となった。守備率は.984で遊撃手として2年連続パ・リーグ守備率1位となった。
異例の契約更改後の金銭トレード

2010年シーズン終了後の12月1日に次年度年俸5300万円(推定)で楽天との契約更改を済ませていたが、8日に金銭トレードでの横浜ベイスターズ移籍の方針が両球団の間で決まり、練習先の千葉県から仙台に呼び戻された渡辺に9日に通告された[5][6][7][8][9]

この移籍は、メジャーリーグベースボール (MLB) から松井稼頭央岩村明憲両内野手を獲得したため同じ内野手である渡辺の出場機会が減少する可能性があった楽天と、内野手の補強を目指していた横浜との間で思惑が一致して決断されたとも報道された[7][9]が、一方でポスティングシステムによってMLB移籍を目指していた岩隈久志の入札金を補強費として見込んでいた楽天球団が、岩隈の残留によって入札金が入らず補強費不足となり、人的補償の無い金銭トレードに向かったとも報道された(ただし、球団側は否定している)[7][8]

同年オフに選手会副会長に就任し、プロ4年目でチームの精神的支えとなっていた選手の放出はチーム内に大きな波紋を呼び、渡辺の涙のトレード会見[8][10]の翌10日に契約更改に臨んだ鉄平(渡辺と合同自主トレをしてきた)、草野大輔(渡辺と社会人野球時代からの知己)、嶋基宏(渡辺と同期入団)が各々の記者会見の席上で、自らの話題よりも渡辺のトレードの件にふれて言葉をつまらせ、涙を流した[11][12][13][14]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:77 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef