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出典検索?: "渡辺歩"
わたなべ あゆむ
渡辺 歩
2019年
別名義渡辺 カケル
生年月日 (1966-09-03) 1966年9月3日(57歳)
出身地 日本・東京都練馬区
職業
アニメーター
アニメーション演出家
アニメーション監督
脚本家
キャラクターデザイナー
ジャンル
テレビアニメ
アニメーション映画
活動期間1984年 -
主な作品
監督(テレビアニメ)
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『宇宙兄弟』
『恋は雨上がりのように』
『MAJOR 2nd』
『サマータイムレンダ』
監督(映画)
『ドラえもん』シリーズ
『海獣の子供』
『漁港の肉子ちゃん』
キャラクターデザイン
『ドラえもん (2005年のテレビアニメ)』
受賞
文化庁メディア芸術祭
アニメーション部門大賞
2019年『海獣の子供』毎日映画コンクール
アニメーション映画賞
2000年『おばあちゃんの思い出』
2019年『海獣の子供』
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渡辺 歩[注 1](わたなべ あゆむ、1966年9月3日 - )は、日本の男性アニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督[1]。東京都出身[1]。別名に渡辺 カケルがある[注 2]。 元々は美術大学を目指していたが、進学に失敗して「絵でご飯が食べられたら」という安易な気持ちでアニメーション専門学校の代々木アニメーション学院に入ったのがきっかけでアニメーターを目指す[2]。代々木アニメーション学院中退後、作画スタジオを1つ経て、1986年(昭和61年)にスタジオメイツへ入社[1][3]。3カ月ほど動画の線を引く訓練を受けてから現場に入り、映画『ドラえもん のび太と竜の騎士』で動画デビュー[2]。そこから月に1本のペースでスタジオメイツが請けていたテレビシリーズ『ドラえもん』の動画を担当していた[2]。 1988年(昭和63年)にシンエイ動画へ移籍[1]。それからは同社を退社するまで、一貫して『ドラえもん』作品の制作に携わる。原画や作画監督など、アニメーターとして長く携わった後、演出も手掛けるようになる[4]。絵コンテ・演出を経て、劇場中編『帰ってきたドラえもん』で初めて監督を担当する[2]。初演出が30歳前後と同世代と比べて出遅れていたので、当時、シンエイ動画に在籍していた原恵一に相談したところ、「もっと焦った方がいい」とアドバイスされ、自分が持っているものはすべて同作品で出そうと決意した[2]。そして、そこから『ぼくの生まれた日』までの5本の連作劇場中編を手掛けた[2]。2000年の『おばあちゃんの思い出』では、第55回毎日映画コンクールアニメーション映画賞を受賞した。2005年(平成17年)にテレビシリーズが『ドラえもん (2005年のテレビアニメ)』にリニューアルすると、新しいキャラクター設定(キャラクターデザイン)を任された[1]。2006年(平成18年)3月4日公開の映画『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』で初の長編作品監督を務める[1]。同作品は第1回Invitation AWARDSアニメーション賞を受賞した。2011年3月11日の東日本大震災では、「ドラげんき」プロジェクトとして紙芝居「まじんのいない魔法のランプ」のイラストを執筆した。 2011年(平成23年)、シンエイ動画を退社しフリーとなる。フリー後は、主にテレビシリーズの監督を手がける[1]。 2019年公開の『海獣の子供』で、2度目となる毎日映画コンクールアニメーション映画賞[5]、および第23回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞[6]をそれぞれ受賞した。
来歴