.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}渡辺(わたなべ) 正行(まさゆき)
本名渡邊正行(わたなべ まさゆき)
ニックネームリーダー、ナベさん、ナベちゃん、ナベどん、兄貴[要出典]
生年月日 (1956-01-24) 1956年1月24日(68歳)
出身地 日本 千葉県夷隅郡夷隅町(現在のいすみ市)
血液型A型
身長180cm
言語日本語
方言共通語
最終学歴明治大学経営学部
師匠杉兵助
トリオ名コント赤信号
相方ラサール石井、小宮孝泰
芸風コント
事務所石井光三オフィス→なべや、ホリプロコム(業務提携)
活動時期1980年 -
現在の代表番組剣道まっしぐら!
過去の代表番組森田一義アワー 笑っていいとも!
クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!
アメリカ横断ウルトラクイズ
さんまのSUPERからくりTV
関口宏の東京フレンドパークII
あんたにグラッツェ!
完成!ドリームハウス
関口宏の東京フレンドパーク ドラマ大集合SP!!
他の活動司会者、俳優、声優、お笑いライブ主催
配偶者既婚
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渡辺 正行(わたなべ まさゆき、1956年〈昭和31年〉1月24日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、コメディアン。
多くの芸能人やファンたちからはリーダー、明石家さんまや島田紳助、山田邦子など同年代の芸能人からはナベ(さん、ちゃん)と呼ばれている[注釈 1]。
個人事務所・なべや所属(石井光三オフィスからの暖簾分け)で、ホリプロコムとマネジメント提携している。 千葉県夷隅郡夷隅町(現在のいすみ市)出身。夷隅町立(現:いすみ市立)国吉中学校、千葉県立大多喜高等学校、明治大学経営学部卒業。明治大学落語研究会に所属し、同会に受け継がれた名跡である「紫紺亭志い朝」(6代目)を5代目だった立川志の輔から受け継いだ。 大学在学中の1977年、劇団テアトル・エコー養成所に入所し、一級上のラサール石井、同期の小宮孝泰と共にコントグループ「コント赤信号」を結成。「赤信号」のリーダーとして活躍した。1980年に関西テレビ制作の『花王名人劇場』でテレビデビューし、暴走族コントなどで人気を博す。 1988年から1996年まで日本テレビ系列で放送されたクイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で、逸見政孝や福澤朗を補佐するサブ司会者を務めた。逸見を立てつつ場を盛り上げる司会ぶりが高く評価され、1990年代には多くのテレビ番組でサブ司会者として起用される[1]。業界内外で「芸能界のスーパーサブ」の異名をとった[2]。 1999年9月に18歳年下の一般人女性と結婚し、44歳の誕生日である翌2000年1月24日に長女が誕生した。 若手お笑い芸人の育成にも積極的で、1986年から「ラ・ママ新人コント大会」を主宰している。同大会は所属事務所の枠を取り払った門戸の広いお笑いライブで、過去にはウッチャンナンチャンを筆頭にダチョウ倶楽部、爆笑問題、海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)ら、のちに名声を博すことになるお笑い芸人たちも多数出演していた。このほか、若手お笑い芸人の登竜門とされてきた[3]NHK新人お笑い大賞でも2014年から審査員を務めている。 吉本興業が主催する漫才コンクール「M-1グランプリ」では2005年・2006年・2008年・2009年・2010年・2017年大会の決勝戦で審査員を務めた。このほか、吉本興業が主催するピン芸コンクール「R-1ぐらんぷり」の2004年・2019年大会や、吉本興業が主催する漫才コンクール「THE MANZAI」の2011年・2014年大会、「G-1グランプリ2022」でも決勝戦の審査員を務めた。 2005年からは「伊東四朗一座」及び「熱海五郎一座」の舞台公演にレギュラーメンバーとして参加し、明治大学落語研究会の先輩でもある三宅裕司とともに東京喜劇の継承と発展に取り組んでいる。
来歴
人物
芸風
コント赤信号時代に披露した暴走族やチンピラなどをネタにしたコントが好評を博し、そのコントの役柄である「リーダー」あるいは「兄貴」がいつしか渡辺の愛称として定着するようになった。コント赤信号が事実上休止状態となった後も、テレビ番組の共演者などからは「リーダー」と呼ばれることが多い。
特技
コーラの一気飲み
コーラ(ペプシコーラ)の一気飲みが特技である。かつてレギュラー出演していた『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)では、一般人出場者が渡辺とコーラ(レギュラーサイズ瓶200ml)の一気飲み対決をするゲームコーナー「13日の月曜日」が設けられたが、同コーナーで渡辺はほぼ無敵を誇った。しかし、一般出場者に一度だけ負けたことがあり、終了後の楽屋にプロデューサーの横澤彪が訪れて一言「負けちゃったね」という言葉を残した際に「このコーナーは負けちゃいけないんだ」と初めて理解したとのこと。
『ザ・ベストテン』(TBS)でこの技を披露した際は、キリンビール(現:キリンビバレッジ)が番組のスポンサーだった都合上、キリンレモンを一気飲みした。
本人が打ち明けたところによると、一気飲みのコツは「無理をすること」と「我慢をすること」[4]。また、冷えたものではなく常温のコーラでないと「喉が締め付けられるために飲みにくい」と語っている。
剣道
剣道六段の持ち主である。中学[5]・高校と学校の剣道部に所属し、高校時代には関東高校剣道大会に出場した経験がある[6]。
芸能界入りしてからも『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』『SMAP×SMAP』『あんたにグラッツェ!』などの企画でその腕前を披露していたが、55歳の時に『炎の体育会TV』のシリーズ企画「体育会TV剣道部」のキャプテンに就任したことをきっかけに本格的に稽古を再開するようになった[7]。