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出生名渡辺 宙明
(わたなべ みちあき)
生誕 (1925-08-19) 1925年8月19日
出身地 日本・愛知県名古屋市
死没 (2022-06-23) 2022年6月23日(96歳没)
日本・東京都渋谷区
学歴東京大学文学部心理学科卒
ジャンル劇伴、アニメソング
職業作曲家、編曲家
活動期間1953年 - 2022年
著名使用楽器
Bassoon、Minimoog
渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8月19日 - 2022年〈令和4年〉6月23日)は、日本の作曲家、編曲家。「ちゅうめい」は本名を音読みしたペンネームであり、本来の読みは「わたなべ みちあき」[1][2]。
父は渡邊工業社長・名古屋螺子製作所(現:メイラ株式会社)創業者の渡辺俊雄[3]。息子は作曲家・編曲家の渡辺俊幸。孫(俊幸の息子と娘)はナレーター・声優の渡辺眞伍、芸術家アイドルとして活動するマコ・プリンシパル(渡辺真子)。 愛知県名古屋市出身[4][5]。愛知県立明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)、第八高等学校理科、東京大学文学部心理学科卒[4][5]。 幼少期に観た『未完成交響楽』や『オーケストラの少女』などの楽曲や、中学校時代にアメリカ映画の影響を受けて音楽に興味を持ち、また転入した府立三中(現・都立両国高校)時代の友人から影響を受けて独学でハーモニカを吹くようになるなどし、次第に映画音楽の作曲家を志すようになった[4][2][5]。第二次大戦後、旧制第八高等学校を卒業後、東京大学文学部心理学部に入学[5]。東大在学中より團伊玖磨に、大学院在籍中より諸井三郎に師事し、習作をこのころより書く[6][4][2][5]。その後、父親の死去により名古屋市へ帰郷し、1953年の中部日本放送のラジオドラマ『アトムボーイ』の音楽を手がけ[6][2]、作曲家としての活動を始める[7][4][5]。 後に再上京し、1956年に高校時代の同級生で、新東宝でプロデューサーを担当していた笠根壮介(宮川一郎)を通じて、『人形佐七捕物帳 妖艶六死美人』(新東宝)で初めて映画音楽を手がける[6][2][5]。1958年にJASRACに入会[8]。1950年代後半から1960年代にかけては、新東宝の作品を出発点に多数の映画音楽を作曲。1967年、渡辺貞夫からジャズの理論を学び[5]、作曲・編曲に大きな影響を受ける。 1970年代には特撮やアニメの人気番組の音楽を担当し、トランペット、トロンボーン、エレキギター、エレキベース、ドラム、ティンパニを主体とした特徴ある音楽を子供たちに印象付けた。モーグ・シンセサイザーのミニモーグ
来歴
後に、民族音楽的合唱曲『恐山』を作曲、LP化され、芸能山城組を一躍有名にした。
水島新司原作の『野球狂の詩』では、主題歌やサウンドトラックの作曲を担当し、堀江美都子のヴォーカルにより、ヒットを放つ。
1980年代に入るとシンセサイザーのシーケンサー機能による自動演奏も取り入れ[2]、『電子戦隊デンジマン』の主題歌「ああ電子戦隊デンジマン」のイントロ部分では高速な電子音のパッセージ、『大戦隊ゴーグルファイブ』主題歌終盤での鋸状波の長い上行グリッサンド、『スパイダーマン』や『バトルフィーバーJ』などのAltSoundによるシンセパーカッションフレーズなどを効果的に使用した。