渡辺周
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日本政治家渡辺 周わたなべ しゅう
防衛副大臣就任時に公表された肖像
生年月日 (1961-12-11) 1961年12月11日(62歳)
出生地 日本 静岡県沼津市
出身校早稲田大学政治経済学部経済学科卒業
前職読売新聞社従業員
所属政党

民社党→)

無所属→)

旧民主党→)

民主党→)

民進党→)

希望の党→)

旧国民民主党

立憲民主党泉G

称号経済学士(早稲田大学・1987年
親族父・渡辺朗(元衆議院議員・沼津市長)
子・渡邉義(お笑いコンビボシマックス」メンバー)
公式サイトわたなべ周 オフィシャルサイト
衆議院議員
選挙区

静岡6区→)

比例東海ブロック

当選回数9回
在任期間1996年10月21日 - 現職
静岡県議会議員
選挙区沼津市選挙区
当選回数2回
在任期間1991年 - 1996年
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渡辺 周(わたなべ しゅう、1961年昭和36年〉12月11日 - )は、日本政治家立憲民主党所属の衆議院議員(9期)、立憲民主党常任幹事会議長、静岡県連顧問[1]

総務副大臣鳩山由紀夫内閣菅直人内閣)、防衛副大臣野田内閣野田第1次改造内閣野田第2次改造内閣)、民主党選挙対策委員長・国民運動委員長・幹事長代行国民民主党副代表・安全保障調査会長、立憲民主党幹事長代行、静岡県議会議員(2期)を歴任した。
来歴2009年9月24日総務副大臣就任時に総務省にて内藤正光(右)と2023年7月3日台湾総統府にて

静岡県沼津市生まれ[2]。沼津第二小学校、沼津市立第一中学校、静岡県立沼津東高等学校早稲田大学政治経済学部経済学科卒業[2]。大学卒業後の1987年読売新聞社入社[3]1990年11月に退社。1991年4月に、静岡県議会議員選挙に民社党公認で立候補して初当選する。民社党解党後の1995年無所属で再選されるが、1996年に2期目の任期途中で辞職する。旧民主党結党に参加し、第41回衆議院議員総選挙に同党公認で静岡6区から立候補して初当選した。

2009年9月に発足した鳩山由紀夫内閣総務副大臣に任命され、菅直人内閣まで務める。2010年9月の菅直人第1次改造内閣発足に伴い退任し、民主党選挙対策委員長に就任する。2011年1月の党役員人事で、選挙対策委員長を退任して民主党国民運動委員長に就任し、衆議院厚生労働委員会で筆頭理事を務める。

2011年8月26日、菅直人首相民主党代表辞任を正式に表明[4]。菅の辞任に伴う代表選挙(8月29日投開票)では前原誠司の推薦人に名を連ねた[5]。同年9月、野田内閣防衛副大臣に就任する。

2012年1月の野田第1次改造内閣発足に際し、前年に参議院問責決議が可決された防衛大臣一川保夫の後任に名前が挙がったが、後任は田中直紀が任命され、渡辺は防衛副大臣に留任した。2012年6月に発足した野田第2次改造内閣で、初の民間人閣僚たる防衛大臣・森本敏の下で防衛副大臣に留任した。2012年10月の野田第3次改造内閣の発足に伴い、防衛副大臣を退任した。12月の第46回衆議院議員総選挙後、衆議院議院運営委員会野党側筆頭理事に就任した。

2014年1月に民主党幹事長代行に起用され[6]て9月に幹事長代行職が廃止されるまで務めた。

2017年10月22日の第48回衆議院議員総選挙希望の党公認で出馬し、8回目の当選を果たす。

同年10月27日、希望の党は両院議員会を開き、11月1日の特別国会の首相指名選挙で、渡辺に投票する方針を決めた[7][8]。首相指名選挙では衆議院で51票、参議院で3票[9]をそれぞれ得たが、選挙で両院ともに自民党総裁安倍晋三が指名された。11月10日に希望の党共同代表選挙が行われ、その後の党役員人事で外交・安全保障調査会長に就任した[10][11]

2018年5月7日に、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加[12]して、同党の副代表に就任した[13]

2020年9月、国民民主党の分党による立憲民主党との合流に伴い、立憲民主党に合流。同党幹事長代行に就任した。

2021年10月の第49回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で出馬するも、自民党勝俣孝明に敗れ初めて小選挙区で落選。


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