哲学者の「渡邊二郎」とは別人です。
渡辺 二郎基本情報
本名渡辺 二郎
階級スーパーフライ級
身長166cm
国籍 日本
誕生日 (1955-03-16) 1955年3月16日(69歳)
出身地 日本・岡山県小田郡矢掛町
スタイル左ボクサータイプ
プロボクシング戦績
総試合数28
勝ち26
KO勝ち18
敗け2
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渡辺 二郎(わたなべ じろう、1955年〈昭和30年〉3月16日 - )は、日本の元プロボクサー(大阪帝拳ジム所属)、元WBA・WBC世界スーパーフライ級王者。2011年時点では暴力団幹部であった(山口組系極心連合会相談役)[1]。 コンバーテッドサウスポー
であり、右利きのサウスポーだった。岡山県小田郡矢掛町で生まれ、大阪府で育つ[2]。血液型B型。浪商高等学校(現・大阪体育大学浪商高等学校)、追手門学院大学文学部英米語学文学科卒業。高校時代は水泳部、大学時代は日本拳法部で活躍し、世界選手権で4位となった[3]。
大学卒業後に体重別のボクシングを志向、大阪帝拳ジムにアマチュアとして入門した。アマ戦績は4戦4勝。
プロボクサーとして
1979年3月27日、プロデビュー。
1980年2月21日、後のWBC世界フライ級王者・小林光二をフライ級・全日本新人王決定戦で1RKO。
1981年4月22日、世界初挑戦。敵地でWBCスーパーフライ級王者金戊M(韓国)に挑むが、15回判定負け[3]。
1982年4月8日、2度目の世界挑戦。WBA世界スーパーフライ級王者ラファエル・ペドロサ(パナマ)に挑戦し、15回判定勝ちで世界王座獲得[3]。同王座は、グスタボ・バリャス、大熊正二、ルイス・イバネス
引退後も実業家、ボクシング解説者、講演家、テレビタレントなど多方面で活躍していた。
1995年、金融機関からの融資返済に絡む恐喝未遂事件で逮捕され、起訴猶予処分で釈放された。
1999年、殺人事件で使用された自動小銃の売買に絡み銃刀法違反で逮捕・起訴され、公判では島田紳助が情状証人として出廷したが実刑判決を受け服役、2004年に出所した。
2007年6月4日、大阪府警岸和田署に知人の暴行事件を隠匿するために被害者に被害届の提出をさせないよう迫ったとして証人等威迫の疑いで逮捕されたが、一週間後に処分保留で釈放された。日本ボクシングコミッションは、渡辺を今後一切歴代の世界王者に列しない方針でライセンスの無期限停止処分とし、ボクシング界から事実上の永久追放処分となった[6]。
2007年6月30日には羽賀研二未公開株詐欺事件に絡み恐喝未遂(二項)の疑いで逮捕・起訴され[7]、大阪地裁で無罪判決を受けるが[8][9]、2011年に大阪高裁で懲役2年の逆転有罪判決を受け上告[10]、2013年4月1日に上告が棄却され懲役2年の2審判決が確定した[11]。この事件では両者に有利な証言をした弁護側証人が偽証罪で起訴されている。この際、渡辺が指定暴力団山口組系極心連合会関係者であることが報じられた。