渡辺プロダクション
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「渡辺プロ」「ナベプロ」はこの項目へ転送されています。傘下の芸能事務所については「ワタナベエンターテインメント」を、「渡辺・プロ」名義でクレジットを出していた放送作家については「渡辺真也 (放送作家)」をご覧ください。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}画像提供依頼:ロゴマークの画像提供をお願いします。(2022年9月)

株式会社渡辺プロダクション
Watanabe Productions Co.Ltd
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渋谷インフォスアネックス
種類株式会社
略称ナベプロ
渡辺プロ
本社所在地 日本
150-0091
東京都渋谷区桜丘町12-10
渋谷インフォスアネックス7F
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分15.6秒 東経139度42分05.1秒 / 北緯35.654333度 東経139.701417度 / 35.654333; 139.701417座標: 北緯35度39分15.6秒 東経139度42分05.1秒 / 北緯35.654333度 東経139.701417度 / 35.654333; 139.701417
設立1959年4月3日
業種サービス業
法人番号8011001039861
事業内容番組制作会社・芸能事務所
代表者代表取締役会長 吉田美樹
代表取締役社長 渡邊万由美
主要子会社ワタナベエンターテインメント
トップコート
ザ・ワークス
サウンド・シティ
渡辺音楽出版 他
関係する人物渡辺晋(創業者)
渡邊美佐(名誉会長)
井澤健(前社長)
ハナ肇とクレージーキャッツ
野々山定夫
植木等
外部リンクwww.watanabe-group.com
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株式会社渡辺プロダクション(わたなべプロダクション、: Watanabe Productions Co., Ltd.)は、芸能事務所など10社1財団(自社含む)を統括する持株会社である。しばしばナベプロと呼ばれる。

創業者は渡辺晋。晋の妻の渡邊美佐は名誉会長兼グループ代表。代表取締役会長は晋・美佐夫妻の長女である渡辺ミキワタナベエンターテインメント社長)、代表取締役社長は同次女の渡邊万由美(トップコート社長)が務める。
概要

元々は1950年代当時、いまだ差別や偏見の目で見られることもあった芸能人の待遇改善と地位向上を目的として、ジャズミュージシャンであった渡辺晋が妻の渡辺美佐松下治夫・河合聡一郎らと共に芸能事務所の位置付けの改革を図ったのが始まりである。

それまでのマネージメントは、タレントに対して仕事先を見つけ、その出演料の一部を受け取るという形にとどまり、「一人のマネージャーがデビュー時から引退までタレントと一蓮托生の運命を歩む」と言われるような個人商店・徒弟制度的な体質であった。そのようなあり方を変え、一人のタレントに対し数人のマネージャーを付け、何年かで担当を交代させることで、芸能事務所の仕事を組織化し、あらゆる分野に精通した人脈や知識を蓄えた人材の育成を目指した。また『シャボン玉ホリデー』や『ザ・ヒットパレード』、クレージー映画シリーズなどを自社制作し所属タレントを出演させて、番組制作費や興行収入を得る仕組みを導入したほか、傘下に音楽出版会社(渡辺音楽出版)を設立しレコード原盤権を保有するなど、現代における日本の芸能ビジネスのスタイルを作った。

タレントのあり方についても、従来は俳優歌手コメディアンなどが分業し、それぞれの領域を侵さなかった芸能界に対し、『新春かくし芸大会』などでは歌手や俳優に寸劇や余興を行わせ、今日のマルチタレント時代の先駆けとなった。最初期にはミッキー・カーチスハナ肇とクレージーキャッツ浜村淳ザ・ピーナッツらが所属し、その後はスパーク3人娘中尾ミエ伊東ゆかり園まり)、ザ・ドリフターズ沢田研二布施明森進一小柳ルミ子天地真理キャンディーズ等の大スターを多数抱え、番組も多数制作した。いまも国内有数の規模を誇る芸能事務所だが、1960年代半ばから1970年代初頭にかけては「ナベプロなくしては歌番組やバラエティ番組は作れない」と言われるほどの独占状態を呈していた。筒井康隆は当時、短編小説『あらえっさっさ』でその権勢ぶりを狂騒の芸能界とともに風刺しているが、同時期にNHK創価学会を俎上に乗せた作品よりは若干好意的で、副社長である妻を前面に押し立てて目立たないようにしているが実権を掌握している社長、という描写になっている。

1979年にザ・ドリフターズがマネージャーの井澤健とともにイザワオフィスを設立し独立、資本関係は存在しないが互いに関連会社として公式サイトなどにも記載している。その他にも一部タレントは、渡辺プロダクションおよびその系列事務所が51%出資することを条件に、傘下の事務所としてグループ内独立を認めている。2000年には機構改革を行い、残っていた芸能マネジメント部門をワタナベエンターテインメントに分社し、渡辺プロダクション自身は持株会社に移行した。そのため現在は子会社のワタナベエンターテインメントが「ナベプロ」と呼ばれることも多くなっている。

グループは現在でも株式を公開していないが、過去には株式公開の話を幾度となく持ちかけられていた。しかしながら渡辺晋の「芸能市場は長期的なスパンが必要であり、株価を気にし、株主に常に配当をしなければという状況下では成立しにくい」との判断のもとで、株式の公開は行なっていない。
所属タレント「渡辺プロダクション・ワタナベエンターテインメントの所属者一覧」を参照
グループ会社

渡辺音楽出版株式会社

株式会社
ザ・ワークス

株式会社サウンド・シティ

株式会社渡辺エンタープライズ

株式会社メイツ

株式会社ワタナベエンターテインメント

株式会社マニア・マニア

株式会社トップコート

一般財団法人渡辺音楽文化フォーラム

株式会社ワタナベアマダクション

株式会社イザワオフィス

過去

ジャニーズ事務所 - かつての系列会社

ビスケットエンターティメント - 2018年末をもって所属タレント全員が離籍し閉鎖

批判

若手タレントが売れると寝る間もないほど働かせ、負担を強いたにもかかわらず、給料は年功序列型の月給制であったため、人気の若手歌手よりも時にしか出番のないベテランタレントの給料の方が遥かに高かった(1975年頃の高額納税者番付で、当時人気だった沢田研二や森進一よりもピークが過ぎていたクレージーキャッツのメンバー達が上位にランクし、世間の話題に上った)。


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