渡瀬恒彦
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わたせ つねひこ
渡瀬 恒彦
本名同じ
生年月日 (1944-07-28) 1944年7月28日
没年月日 (2017-03-14) 2017年3月14日(72歳没)
出生地 日本・島根県能義郡安来町(現・安来市
出身地 日本・兵庫県淡路島
死没地 日本・東京都
職業俳優歌手タレント
活動期間1969年 - 2017年
活動内容1969年:デビュー
1970年:『殺し屋人別帳
1973年:『仁義なき戦い
1976年:『狂った野獣
1978年:『皇帝のいない八月
1979年:『神様のくれた赤ん坊
1980年:『震える舌
1983年:『南極物語
1984年:『天城越え
1985年:『真田太平記
1985年:『刑事物語'85
1992年:『十津川警部シリーズ
1992年:『タクシードライバーの推理日誌
2002年:『おみやさん
2006年:『警視庁捜査一課9係
配偶者大原麗子(1973年 - 1978年)
渡瀬い保(1979年 - 2017年)
著名な家族渡哲也(兄)
渡瀬暁彦(長男)
事務所東映マネージメント
主な作品
映画
仁義なき戦い』(1973年)
鉄砲玉の美学
暴走パニック 大激突
狂った野獣
事件
神様のくれた赤ん坊
震える舌
皇帝のいない八月
化石の荒野
南極物語
時代屋の女房
天城越え
敦煌
一杯のかけそば
釣りキチ三平』テレビドラマ
大激闘マッドポリス'80』/『おしん
真田太平記』/『刑事物語'85』/『炎立つ
十津川警部シリーズ
タクシードライバーの推理日誌
おみやさん』シリーズ
警視庁捜査一課9係』シリーズ
ちりとてちん』/『そして誰もいなくなった

 受賞
日本アカデミー賞
最優秀助演男優賞
事件』(1978年)
ブルーリボン賞
助演男優賞
事件』(1978年)
その他の賞
キネマ旬報賞
主演男優賞
神様のくれた赤ん坊』(1979年)
震える舌』(1980年)
助演男優賞
赤穂城断絶』(1978年)
事件』(1978年)報知映画賞
助演男優賞
事件』(1978年)
皇帝のいない八月』(1978年)
赤穂城断絶』(1978年)

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渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ、(1944年〈昭和19年〉7月28日[1] - 2017年〈平成29年〉3月14日)は、日本俳優歌手タレント。本名同じ。

島根県能義郡安来町(現・安来市)生まれ、兵庫県淡路島育ち[1]東映マネージメント所属[2]。兄は俳優の渡哲也、長男はTBSディレクターの渡瀬暁彦。身長174cm[1]血液型AB型[1]
来歴
生誕からデビューまで(1944年?1969年)

幼少期はガキ大将[3]だった。同じ小学校に通った同級生は「恒ちゃんは、ガキ大将で、けんかがものすごく強かった。友だちをいじめた相手に『何やってるんや』と向かっていき、兄貴肌で慕われていた」と懐かしんだ[4]。生誕した島根県から兵庫県津名郡淡路町(現・淡路市)に移り、三田学園中学校・高等学校卒業(6年間の寮生活)。中学の入学試験で「あの野郎2番の成績で入って来た」と兄・渡哲也が回想していたが中学三年で柔道黒帯[3][5]。高校時代は水泳部に所属。当時から同世代の女子に人気があり運動会には渡瀬目当ての女子学生が押しかけてきて大変だったという[6]。同級生の兵庫県議・野間洋志によると「常に夏目漱石などを読んでいた。難しい「乾坤一擲」などの言い回しや熟語を使い、国語の成績は270人中常に5番以内[7]」。また恩師によれば、当時から頭の回転が早くリーダーシップがあった[6]。また俳優かけだしの頃、三田学園の寮を何度か訪れ淡路の海を「昔はヤスで魚やサザエを取った」と懐かしんでいたという[8]。渡瀬曰く高校在学中は新聞記者に憧れていた[9]

三田学園高等学校卒業後、中央大学慶應義塾大学法学部に現役合格するも早稲田大学は不合格だった。


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