日本の政治家渡海 紀三朗とかい きさぶろう
首相官邸での緊急申入れに際して(2024年1月23日撮影)
生年月日 (1948-02-11) 1948年2月11日(76歳)
出生地 兵庫県高砂市
出身校早稲田大学理工学部卒業
前職日建設計従業員
安倍晋太郎衆議院議員秘書
所属政党(自由民主党→)
(新党さきがけ→)
自由民主党(石原派→無派閥)
称号工学士(早稲田大学・1970年)
一級建築士
親族渡海元三郎(父)
公式サイト渡海紀三朗公式サイト
渡海 紀三朗(とかい きさぶろう、1948年2月11日 - )は、日本の政治家、一級建築士。自由民主党所属の衆議院議員(10期)、自由民主党政務調査会長(第62代)。
衆議院国家基本政策委員長、文部科学大臣(第9代)、内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)などを歴任した。 渡海元三郎の長男として兵庫県高砂市曽根町に生まれる。兵庫県立姫路西高等学校から早稲田大学理工学部に進学した。大学卒業後は日建設計に入社し、サラリーマン生活を送る。日建設計では、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場の設計やグリーンスタジアム神戸の構想計画などにも参画した[2]。 1985年5月2日、父親の渡海元三郎が死去。同年12月、外務大臣であった安倍晋太郎の秘書になる。 1986年6月の第38回衆議院議員総選挙の旧兵庫3区(定数3)に自由民主党は渡海元三郎の後継者として紀三朗と、元農林官僚の井上喜一の2人を擁立し、ともに初当選を果たした。 1988年9月2日、武村正義、鳩山由紀夫、石破茂ら自民党の1年生議員とともに政策勉強会「ユートピア政治研究会」を結成した[3][4]。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で再選。 1993年6月18日、宮澤内閣への内閣不信任決議可決に伴う衆議院解散の直後に渡海は鳩山、武村らと共に自民党を離党。
生い立ち
政治家として
文科相就任以前