渡島海岸鉄道
種類株式会社
本社所在地 日本
北海道渡島国茅部郡森町字港町204[1]
設立1926年(大正15年)7月1日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、自動車運輸業[1]
代表者社長 板谷順助[1]
資本金352,300円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[1]。
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概要
現況廃止
起終点起点:森駅
終点:砂原駅
駅数10駅(うち停留所5)
運営
開業1927年12月25日 (1927-12-25)
廃止1945年1月25日 (1945-1-25)
所有者渡島海岸鉄道
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長9.4 km (5.8 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
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停車場・施設・接続路線(廃止当時)
凡例
0.0森駅
1.8東森駅
3.1尾白内駅
6.3掛澗駅
9.4砂原駅
渡島海岸鉄道(おしまかいがんてつどう)は、かつて北海道茅部郡森町から砂原村(現・森町)にかけて存在した鉄道路線及びそれを運営していた鉄道事業者である。 1925年(大正14年)、国鉄函館本線森駅から砂原村への鉄道敷設が出願される。しかし当初は森駅への乗り入れは認められず、東森仮停車場 - 砂原停車場間の8.3kmのみに許可が下りた。それから渡島海岸鉄道が設立され1927年(昭和2年)12月25日に開業、蒸気機関車による貨物及び旅客の輸送が開始される。1928年には森駅への乗り入れが認可され、同年9月に工事が完了、森 - 砂原間9.4kmの全線が開通した。 昭和初期は内浦湾一帯から渡島半島東岸にかけてイワシが豊漁のために大変賑わい、それに伴って輸送実績も好調であった。貨客混合の列車が1日4往復し、1936年からは砂原から鹿部町への乗合自動車も運行を始める。しかし第二次世界大戦から軍需輸送の整備が急務となり、急勾配がネックであった軍川駅 - 森駅間を迂回する「砂原線」(函館本線支線)の敷設が計画された。それと並行する渡島海岸鉄道は、1945年(昭和20年)1月25日に廃線となり、施設等は運輸通信省に買収された。 ただし、丸ごと全てが国鉄線になったわけではなく、渡島海岸鉄道は尾白内 - 掛澗間からは現在の国道278号とおおよそ同じルートを辿っていたのに対し、国鉄砂原線は北海道駒ヶ岳の裾野を少しずつ登るルートをとった。これは渡島海岸鉄道が森と砂原の集落を結ぶ目的で敷設され、一方の砂原線は上述の通り急勾配の緩和による輸送力増強を目的としていたためである。そのため掛澗駅と砂原駅は函館本線の掛澗駅・渡島砂原駅とは別の駅である。また尾白内駅は同一ルート上ではあったものの、函館本線尾白内駅よりも300mほど西(森駅側)にあった。 廃止直前時点
概要
路線データ
路線距離:9.4km
軌間:1067mm
沿革
1925年(大正14年):森駅から砂原村へ至る鉄道の敷設が出願
1926年(大正15年)
2月18日:渡島海岸鉄道(発起人総代助川貞二郎)に対し東森 - 砂原間の軌道敷設免許を交付[2][3]。
7月1日:渡島海岸鉄道株式会社が設立。社長板谷順助専務助川貞二郎[2]。
1927年(昭和2年)12月25日:東森仮停車場 - 砂原間開業[4]。東森・尾白内・掛澗・砂原の各駅を設置。
1928年(昭和3年)9月13日:森 - 砂原間全通。同時に東森仮停車場廃止。
1929年(昭和4年)6月29日:鉄道延長線敷設免許状下付(茅部郡砂原村-同郡鹿部村間)[5]。
1931年(昭和6年)12月23日:鉄道延長線敷設免許状下付(茅部郡鹿部村-同郡臼尻村間)[6]。
1933年(昭和8年)9月2日:自動車運輸営業開始(砂原-相泊間、乗客用貨物用各1台[7][8])。
1934年(昭和9年)
7月1日:東森駅を新設。
12月25日:尾白内駅を移設。
1936年(昭和11年)7月1日:新川・尾白内学校裏・押出・度杭崎の各停留所を新設。
10月30日:鉄道免許取消並びに失効(官報掲載)[9]。
1938年(昭和13年)1月:東掛澗停留所を新設。
1944年(昭和19年)6月1日:北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱により、バス事業を函館乗合自動車(現在の函館バス)へ譲渡。
1945年(昭和20年)1月25日:全線廃止、運輸通信省に買収、会社解散。