この項目では、地域について説明しています。
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渋谷
町丁
渋谷駅ハチ公口付近から見た風景
正面が渋谷スクランブル交差点とQFRONT。
(2018年10月)
渋谷(しぶや)は、東京都渋谷区の地名。渋谷は、渋谷駅や渋谷区の略称の他に以下を指す。 新宿・池袋とともに山の手の3大副都心の一つであり、渋谷駅を中心とした日本有数の繁華街である。主に渋谷駅北西側のセンター街方面に大規模な繁華街が広がっている。「若者の街」として知られ、「東急百貨店」「西武百貨店」「渋谷パルコ」「109」「渋谷スクランブルスクエア」「MIYASHITA PARK(渋谷区立宮下公園)」などのデパートやファッションビル・専門店・飲食店などが立ち並ぶ。渋谷駅前には待ち合わせの名所である忠犬ハチ公の銅像があり、そのすぐ向かいは渋谷スクランブル交差点となっている。渋谷スクランブル交差点は世界的に高い知名度を誇り、国内外から多くの観光客が訪れる。駅からスクランブル交差点を渡ると渋谷センター街であり、飲食店やゲームセンターなどが集積している。かつては歩行者天国を行っていたが、2002年12月28日をもって廃止となった[7]。また、渋谷駅は東京の重要なターミナル駅の1つとして機能しており、その利用者数は直通運転の乗客を含めて約330万人であり、新宿駅に次いで世界2位を誇る。 1885年に渋谷駅が日本鉄道(現在のJR線)の駅として開業した当時、周辺は田畑が広がる東京郊外の田舎の駅であり、そのため開業当時は利用者数が非常に少なかった[8]。その後玉電を皮切りに複数の路線が乗り入れ、東京市南西部郊外のターミナル駅として発展していく。1923年に発生した関東大震災を契機として、被害が大きかった下町から山の手の郊外エリアに転居する人が増加し、渋谷駅の利用者数も増加した。花街の百軒店はその頃誕生した。現在の東急(旧・東京急行電鉄)が関東初の駅直結のターミナルデパートである東横百貨店(のちの東急百貨店東横店)を開業するなど、戦前から東急は渋谷の開発を精力的に行ってきた。しかし渋谷は街路が放射線状に広がり、更に坂や一方通行の小道が多い事から道路拡張は困難で、それら諸般の事情により開発業者は敬遠し、結果として新宿・池袋といった山手の繁華街に比べ街の発展が遅れをとる事となった[9]。 かつては若者の街と言えば新宿であったが[10][11] が、1973年にパルコの旗艦店である渋谷パルコが開店してから若者が多く集まるようになり、それ以降渋谷区(原宿、表参道、代官山、裏原宿を含める)は新宿に代わる若者の流行の発信地としての地位を確立した。日本では、1970年辺りまでは、「若者の街」「若者文化」の流行の発信地といえば、新宿だった。しかし1969年、ベトナム戦争への反戦運動として新宿駅の西口地下広場で行われていた無許可のフォークソング集会を警察が強制解散させ、その後の6月28日に若者達と機動隊が衝突して多数の逮捕者が出た「新宿西口フォークゲリラ事件」を機に、新宿に若者が集まることが困難となり[12]、同時に若者からも新宿が忌避されるようになった。一方、1973年に渋谷でPARCOの開店があり、渋谷駅からPARCOを経て渋谷区役所・渋谷公会堂に至る「区役所通り」を「渋谷公園通り」と改称して再開発を実施したことで、日本における若者文化の歴史が大きく変化。その流れは「新宿から渋谷、または渋谷区全体へ」(つまり原宿、表参道、代官山、裏原宿方面も)と移り変わっていった。これは同時に、政治色の強いカウンターカルチャー(参考:1960年代のカウンターカルチャー)から商業主義的色彩の強いサブカルチャーへの変質でもあった[13][14]。
町名としての渋谷、渋谷一丁目から四丁目まである。JR渋谷駅を含む渋谷駅東側の地域。
渋谷駅を中心とする地域の総称。前述「1」の他に、「道玄坂」「宇田川町」「神南」「桜丘町」などが含まれる。東京を代表する繁華街の一つであり、最先端の流行やファッション、音楽、若者文化の街となっている。
近年では、渋谷駅から北西にやや離れているものの、個性的な店舗が住宅・企業オフィスの間に点在するエリアが「奥渋谷」(おくしぶや、オクシブ)と呼ばれることもある。町名としては松濤、富ヶ谷、神山町などである[6]。
武蔵国の村を起源とする、明治時代以降に存在した渋谷村と渋谷町。
六本木ヒルズから見た首都高速3号渋谷線と渋谷の高層ビル群(2020年)
概要