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出典検索?: "渋谷浩康"
渋谷 浩康(しぶや ひろやす、1969年4月13日[1] - )は円谷プロダクション所属のプロデューサー。神奈川県茅ヶ崎市出身[1]。 学生時代に円谷プロダクションのアクションチームの求人広告を見て、社員の募集もないものかと連絡し面接を受けて採用された[2]。製作部に配属された理由は、当時取締役であった高野宏一によれば声が大きいから現場向きであったからだという[2]。 大学卒業後、1992年に円谷プロに入社[1]。同年の映画『勝利者たち』の製作進行からキャリアスタート[2]。 『ウルトラマンゼアス2 超人大戦 光と影』でアシスタントプロデューサーを経た後は、専務を務めていた高野宏一から「テレビでもメイキングを回しとけ」と指示され、『ウルトラマンティガ』以降のテレビシリーズでもメイキング撮影などで横断的に現場に携わる[3]。その後、2001年に『ウルトラマンコスモス』で初のプロデューサーを担当[1]。2004年には『ウルトラマンネクサス』、続く『ウルトラマンメビウス』(2006年)、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』(2007年)、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』(2008年)等のテレビシリーズをプロデュースする。 また、2009年には『ウルトラマンメビウス外伝 ゴーストリバース』、2010年には『ウルトラ銀河伝説外伝 ウルトラマンゼロVSダークロプスゼロ』、2011年には『ウルトラマンゼロ外伝 キラー ザ ビートスター』といった児童誌グラビア展開や劇場版ウルトラマン映画作品とも連動するオリジナルビデオシリーズをプロデュース。 プロデュース業を離れた現在でも、企画協力・企画監修者として数多くのウルトラシリーズ・作品に携わっている。
プロフィール