ゆいちゃんず (欅坂46) の楽曲については「サイレントマジョリティー (曲)」をご覧ください。
渋谷川・古川
「渋谷ストリーム」から
渋谷川と稲荷橋広場を見る
(2018年9月22日撮影)
水系二級水系 古川水系
種別二級河川
延長渋谷川:2.6 km
古川:4.4 km
流域面積渋谷川:14.0 km2、古川:8.8 km²
水源東京都公共下水道(渋谷区宮益橋)
水源の標高約15 m
河口・合流先東京湾
流路東京都
流域東京都
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広重『名所江戸百景』より「広尾ふる川」。四の橋から現在の白金三丁目付近を望んでいる。
渋谷川(しぶやがわ)は、渋谷駅南方から天現寺橋までの2.4kmを流れる二級河川。
古川(ふるかわ)は渋谷川の下流であり、天現寺橋下の笄川合流点から浜崎橋
先の河口までの4.4kmの二級河川。「渋谷」が地形上の「谷」であることは明白であるが、「渋」については渋谷川を流れる渋色(赤茶色)の水に由来する、という説がある。流域では渋谷粘土層と呼ばれる特有の地層が水を遮るため、上層にある関東ローム層(赤土層)に染み込んだ雨水は、その鉄分を溶かし込みながら川へと排出され、水を赤茶色に染めるのだという。現在も、渋谷で湧いている井戸水には、全国平均の24倍にあたる鉄分が検出されている[1]。一方で、「渋谷」および「渋谷川」の由来は、今の大和市渋谷地区(旧・渋谷村)を出自とする渋谷氏一族が周辺地域に居を構えたことによるとする説や、「塩谷(しおや)」が「渋谷(しぶや)」に変わったとする説もある[2]。
古川は江戸時代から昭和初期頃までは新堀川、金杉川とも言われていたが現在は使われていない[3]。 渋谷ストリーム北辺の「稲荷橋」地点を起点とし、広尾、麻布の台地下を流下して、芝公園の南側を通り、東京湾に注ぐ[4]。 渋谷川では1986年から、老朽化した護岸を包み込む形でコンクリート護岸による河川改修が行われているが、天現寺橋から下流の古川では、古い石積護岸が今も残る。赤羽橋から河口までは、昭和30年代から防潮堤が整備されている[4]。 また、天現寺出入口付近より下流は首都高速2号目黒線が、一ノ橋JCTより下流は都心環状線が直上を通っている。 かつては穏田川・宇田川の源頭両河川をはじめ多数の支流を持っていたが、現在ではそのほとんどが下水道幹線として暗渠化され、大雨の降ったとき以外は渋谷川には流入しなくなっており、これを補う「清流復活事業」として下水を高度処理した再生水を落合水再生センターから供給している。再生水は従来新並木橋付近から放流していたが、渋谷ストリーム開業以降は同施設付近、すなわち開渠部開始地点付近へ移動し、「壁泉」と呼ばれる形で供給している。 以下は支流の一覧。上記両河川も含め下流より記載する。
流路
起点の変遷
元来の渋谷川は後に穏田川と呼ばれる部分も含み、これは現在の新宿御苑内、または西接する天龍寺にある源頭に始まるものだった。
明治期に入ると上記源頭から渋谷駅北方「宮益橋」地点(宇田川との合流地点)までを「穏田川」と呼ぶようになり、狭義の渋谷川は宮益橋より下流を指す名称となった。
1934年には宮益橋直下数十メートルを暗渠とし東急東横店東館が建設された[5]。また、そこから下流「稲荷橋」までの区間は、東京オリンピックに向け、上流部の暗渠化・下水道化とともに1961年に暗渠化された[5]。しかしながら河川法上は、暗渠化された宮益橋?稲荷橋の区間は河川としての位置づけを失わなかった[5]。
2009年、駅周辺の再開発に向け、宮益橋?稲荷橋の暗渠区間は河川から下水道に変更された(#沿革節参照)[5]。これによって渋谷川は稲荷橋地点から始まるものとなり、また暗渠区間をもたない形となった。
支流・水源
入間川
桜川
赤羽川