渋家
[Wikipedia|▼Menu]

渋家Shibuhouse

設立2008年
設立者齊藤恵汰
設立地 日本
種類現代美術
現代表松山孝法
重要人物としくに, 小林健太, ちゃんもも◎, Tomad, 上妻世海, ゴッドスコーピオン, Marukido
提携ナハウス
ウェブサイトhttps://shibuhouse.com/
かつての呼び名ヘルハウス
テンプレートを表示

渋家(シブハウス)は、2008年平成20年)4月に東京都内で始動したランドアートまたはコミュニティアートの作品である[1]。また、渋谷区にある同メンバーが運営を行なうシェアハウスも指す[2]。同じくコミュニティテーマとする沖縄県のナハウスや共同制作空間「BARRAK」は石黒裕起,手塚太加丸[3]が渋家を参考に設立した。

このコミュニティは、新たな発想を生むコミュニティの設計を課題として活動し、新たな人材を次々と巻き込みながら、所属メンバー、出身アーティスト、外部アーティストが連携を取り、分野の垣根を跨いだ活動をおこなっている。渋家に住む人々をメンバー、渋家外の人々をゲストと言い分けている。渋家にはメンバーの中から一人が代表という役割を持っている。代表それぞれによって活動や運営の方向性が異なるのが特徴である。入居条件は1週間の体験入居を行ってから入居可否を判断する以外には設けられておらず、元からアーティストクリエイターパフォーマーを志す者のみならず、街で見かけたホームレス家出少女などに居場所を与えることもある[4]

その活動は大きく、黎明期(2008年 - 2010年)、過渡期(2011年 - 2016年)、新世代(2017年 - 現在)の3つの時期にわかれる[5]。これまで、黎明期および過渡期においては、tomad(Maltine Records主催)[6][7]ちゃんもも◎(アイドル/タレント)、上妻世海(文筆家/キュレーター)[8]木皮成(振付家)、小林健太(写真家)[9]、佐藤栄祐(TAV GALLERY)、毒kinokopink(ファッションデザイナー)[10]、ゴッドスコーピオン(Psychic VR Lab)[11]、rei nakanishi(グラフィックデザイナー)[12]ノガミカツキ(メディアアーティスト)、Marukido(ラッパー)[13]、大もも、爆裂根岸などが在籍。この時期においては、Maltine Recordsと多くの活動を共にし、クラブやライブでの活動が多いのが特徴であった。

代表によって渋家の説明は異なるが、渋家の黎明期からのメンバーであった元代表の山口としくに(現・渋都市株式会社代表取締役)は、2019年(平成31年)1月9日のAbemaTV生放送にて、過去を振り返りながら「リアル版mixi」あるいは、現代版「トキワ荘」と説明している[14]

また、以前は関係者により2016年(平成28年)に設立された、アーティストマネジメント、イベント開催、コンテンツ制作などを手掛ける事業会社である渋家株式会社も含まれていたが[15]、渋家の世代交代や事業規模の拡大に伴い、2018年(平成30年)7月1日に渋都市株式会社に商号を変更し、運営体制は切り離された[16]
歴史

高校を卒業後、引きこもりを経て予備校芸術論を単科で受講していた齊藤恵汰が、2007年12月18日に家を借りるランドアートを構想し、同じクラスの受講者を勧誘して結成[17]。初期は単なるシェアハウスと何ら変わらなかったが、カルチャー集団として模索をつづけながら多数のアーティストを輩出し、著名ミュージシャンなどのイベント演出を手掛けるhuezの活動が始動し、渋家株式会社を設立して事業を軌道に乗せ、後に商号を渋都市株式会社に変更するなど、アート,デザインの双方で着実に実績を積み上げている。現在は在籍した元メンバーを中心とした出身者によるネットワークとしての側面と、2017年(平成29年)からの新たな世代によるシェアハウスの運営という側面を併せ持つ。
黎明期 ―― 移転を繰り返した時期

齊藤恵汰のランドアート作品として制作される。

2008年 - 予備校の芸術論のクラスで知り合った5人によって始動。目黒区池尻大橋駅付近のアパートで共同生活を送る。初期には渋家という名称は無く「ヘルハウス」と呼んでいた[18]。略称はこの当時から「ハウス」であった。この当時から友人の繋がりで来訪者が増え、メンバーも増えて行った。間取りは2DK(6畳3部屋)だった。

2009年 - 15人程度が住むようになり限界が来たため、同じく目黒区に移転。移転後の第一回会議で「渋家」という名称が考案される[18]

2010年 - 渋家トリエンナーレ2010の開催のため家を布で包んだことが原因で、不動産屋から退去を命じられる[18]。恵比寿に物件が見つかったが入居日まで一部メンバーは行き先を失い、ネットカフェ難民などを行ってやり過ごした。

2010年 - 渋谷区恵比寿に移転[18]。後にアイドルとなるちゃんもも◎Maltine Records創設者のtomadが訪問するようになる。tomadによる音楽イベントが開始される。

過渡期 ―― 新メンバーの増加

設立当時を知らない新メンバーが増加し、商業活動も盛んになって行く。

2011年 - イベントの増加により渋谷区南平台町に移転した。Maltine Recordsのイベント演出が切っ掛けとなり、フリーランスの集合体として商業活動が活発化した。また、メディアアーティスト志望の初期メンバーにより空間演出ユニットのhuezが結成された。ちゃんもも◎、tomadもメンバーとなった。渋家株式会社の設立を宣言するが、その後の具体的な動きはなく、正式な設立は2016年に持ち越された[19]

2013年 - 森美術館30周年記念展『アウト・オブ・ダウト』においてディスカーシブ・プラットフォーム(Discursive Platform)に選出[20]

2013年 - 新世代が解く!ニッポンのジレンマ『新TOKYO論』に斎藤桂太が出演、渋家を取材したVTRが放送された[21]

2013年 - 「第17回 文化庁メディア芸術祭」審査委員推薦作品選出(エキソニモ, 渋家, Maltine Records 連名作品「VideoBomber」)[22]

2014年 - WWWにてOL KillerとCharisma.comの対バンライブにVJとして出演[23]

2015年 - 8月15日、16日に行なわれた「ゆず 弾き語りライブ 2015 二人参客 in 横浜スタジアム」で一部楽曲のアレンジを担当した[24]

2016年 - 渋家と、そこから派生した空間演出ユニット「huez」の2団体を母体として渋家株式会社が設立される[25]

新世代 ―― 初期メンバーの居ない渋家

初期メンバーは企業活動に専念し、シェアハウスは新世代に明け渡された。

2017年 - メンバーを平均20歳程度の新世代に入れ替えて再始動した。また初期メンバーはシェアハウスの運営から退いた。

2018年 - 渋家株式会社が渋都市株式会社(シブシティカブシキガイシャ)に商号を変更。一般企業と同じように社員の採用を徐々に増やす。

2018年 - 渋家の設立10周年を記念したイベント「Home Party」が、MAGNET by SHIBUYA109 屋上「MAG’s PARK」にて開催[26]

2019年 - 渋都市株式会社の代表取締役の山口としくにがAbemaTV生放送に出演し、インタビューを受けた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef