済州特別自治道
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済州特別自治道略称: Jeju;??;濟州;チェジュ
済州市漢拏山
  済州道旗 / 済州道章
位置

地図

各種表記
ハングル:???????
漢字:濟州特別自治道
日本語読み仮名:さいしゅうとくべつじちどう
片仮名転写:チェジュ=トゥクピョルジャチド
ローマ字転写 (RR):Jeju-teukbyeoljachido
統計(2023年
面積:1,847.77 km2
総人口:675,252[1]
男子人口:337,976 人
女子人口:337,276 人
人口密度:365.4 人/km2
世帯数:313,155 世帯
行政
国: 大韓民国
下位行政区画:2行政市
ISO 3166-2:KR-49
行政区域分類コード:39
済州特別自治道の木:クスノキ
済州特別自治道の花:タンナアカツツジ
済州特別自治道の鳥:キツツキ
知事:?怜勳
自治体公式サイト: ⇒済州特別自治道
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漢拏山

済州特別自治道(チェジュとくべつじちどう、: ???????、済州語: ????????)は、大韓民国(韓国)本土南西部に位置する

済州島全体と牛島馬羅島などの付属小島嶼からなる。国防や外交を除く多くの権限を持っている特別自治道である[2]。道都は済州市

日本統治時代までは全羅南道に属していたが、アメリカ軍政期の1946年に分離し済州道を設置、2006年に現名称に変更された。

道内には、韓国政府統治地域最高峰の漢拏山がそびえたち、一帯は「済州の火山島と溶岩洞窟」としてユネスコ世界遺産に登録されている。韓国国内で鉄道高速道路一般国道が通っていない唯一の道でもある。
歴史
日韓併合まで

古代には耽羅国として自立した存在であったが、三国史記百済に朝貢したとの記述があるなど、百済、新羅に朝貢して間接的な支配を受けた。

938年には高末老が高麗に入朝、服属している。1105年高麗は耽羅国号を廃止し、耽羅郡を設置したが、旧支配層の地方支配は認められた。 1259年に高麗がモンゴル元朝に服属すると、済州島はモンゴルの直轄領となり、大規模な馬牧が設置された。

1271年、珍島でモンゴル・高麗連合軍に敗れた金通精率いる三別抄がそれ以降済州島に移って抗戦を続けた。三別抄は島民を巻き込みながらゲリラ戦を行なったが、1273年4月、金方慶洪茶丘率いる高麗軍によって三別抄は壊滅した。同年モンゴルは済州島に耽羅総管府を設置した。

1294年には再び高麗に帰属し、済州の名称に戻った。

1402年には耽羅は滅亡し李氏朝鮮済州牧が設置された。

1416年: 済州牧に旌義県、大静県を設置

1864年: 旌義県・大静県を郡に昇格、全羅道観察使の管轄下に置く

1880年: 再び県に戻す

1895年: 二十三府制の施行により済州牧を府に改編し観察使を置く。済州府が済州郡・旌義郡・大静郡を管轄(3郡)。

1896年: 済州島全域が全羅南道に属し、済州郡が済州牧に改編(1牧2郡)。

1906年: 牧使を廃止(3郡)。

日本統治時代

1914年4月1日 - 郡面併合により、済州郡・旌義郡・大静郡および莞島郡楸子面を済州郡として編成。済州郡に以下の面が成立。[3](13面)

済州面・旧左面・新左面・新右面・旧右面・旌義面・東中面・西中面・右面・大静面・中面・左面・楸子面


1915年5月1日 - 島制施行で済州郡が済州島に改編される。[4][5](1島13面)

1931年4月1日 - 済州面が済州邑に昇格。[6](1島1邑12面)

1935年4月1日(1邑12面)[7]

新右面が涯月面に改称。

旧右面が翰林面に改称。

中面が安徳面に改称。

左面が中文面に改称。

右面が西帰面に改称。

西中面が南元面に改称。

東中面が表善面に改称。

旌義面が城山面に改称。

新左面が朝天面に改称。


独立後

1946年8月1日 - 全羅南道済州島をもって済州道を設置。

済州邑・旧左面・楸子面・翰林面・朝天面・涯月面の地域をもって、北済州郡を設置。

城山面・南元面・中文面・大静面・表善面・西帰面・安徳面の地域をもって、南済州郡を設置。

同日、行政区域としての済州島(済州郡)が消滅。[注釈 1]


1955年9月1日: 北済州郡済州邑が済州市に昇格(1市2郡)。

1981年7月1日: 南済州郡西帰浦邑・中文面が合併して西帰浦市が発足(2市2郡)。

2006年7月1日: 済州特別自治道に改編、済州市と西帰浦市の2行政市になる。初代知事金泰煥(2市)。

行政市済州特別自治道庁

済州市

西帰浦市

読みは大韓民国の地方行政区画を参照。
行政機構の再編と住民投票

済州道は2006年7月1日から、より高度の自治権を付与された特別自治道に移行した。離島である済州道の特殊性を勘案し、行政と立法についてのみアメリカのような高度な自治権を認めることとしたもので、韓国政府が2005年11月、同道を特別自治道とするための関連法案を閣議決定し、2006年2月に国会で可決された。

これに伴いといった基礎自治体の再編の検討もなされ、これについて済州では初となる住民投票が行われた。これは現行制度を当面維持する「漸進案」と、基礎自治体の議会廃止・市長の道知事による任命・郡市の統合等を行う「革新案」とを選択するもので、「革新案」が採択された。なお、この住民投票においては永住外国人にも投票権が与えられ、注目された。

この投票結果を受け、特別自治道への移行と同時に、済州市と北済州郡、西帰浦市と南済州郡を統合し、自治権を持たない行政市としての済州市西帰浦市が発足した。
道知事詳細は「済州特別自治道知事」を参照

第4代特別自治道知事:呉怜勲(??? オ・ヨンフン、2022年7月1日 -)

代理:丘万燮(??? ク・マンソプ、2021年8月12日 - 2022年6月30日)

第3代特別自治道知事:元喜龍(??? ウォン・ヒリョン、2014年7月1日-2021年8月11日)

第2代特別自治道知事:禹瑾敏(??? ウ・グンミン、2010年7月1日-2014年6月30日)

初代特別自治道知事:金泰煥(??? キム・テファン、2006年7月1日-2010年6月30日) - 済州道時代からは35代


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