清風中学校・高等学校
[Wikipedia|▼Menu]

.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事には複数の問題があります。改善ノートページでの議論にご協力ください。

出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2022年5月)


脚注による出典や参考文献の参照が不十分です。脚注を追加してください。(2022年5月)


あまり重要でない事項が過剰に含まれているおそれがあり、整理が求められています。(2022年5月)
出典検索?: "清風中学校・高等学校" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL

清風中学校・高等学校
旧校舎
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度39分49.7秒 東経135度31分18.2秒 / 北緯34.663806度 東経135.521722度 / 34.663806; 135.521722座標: 北緯34度39分49.7秒 東経135度31分18.2秒 / 北緯34.663806度 東経135.521722度 / 34.663806; 135.521722
過去の名称大阪電気学校
大阪電気学校堺分校
財団法人浅香山電機工業学校
浅香山高等学校・中学校
国公私立の別私立学校
設置者学校法人清風学園
校訓安心・尊敬・信頼(徳・健・財)
設立年月日1945年2月(生徒手帳より)
創立記念日5月31日
創立者平岡宕峯
共学・別学男女別学(男子校)
中高一貫教育完全分離教育 6年制編入教育
課程全日制課程
単位制・学年制単位制
学校コードC127310000069 (中学校)
D127310000101 (高等学校)
高校コード27567A
所在地543-0031
大阪府大阪市天王寺区石ヶ辻町12番16号
外部リンク公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

清風中学校・高等学校(せいふうちゅうがっこう・こうとうがっこう、英語: Seifu Junior/Senior High School)は、大阪府大阪市天王寺区石ヶ辻町に所在する私立男子中学校高等学校

清風学園グループの姉妹校として、学校法人清風南海学園が運営する清風南海中学校・高等学校(大阪府高石市)、学校法人清風明育社が運営する清風情報工科学院がある。
概要

前身の大阪電気学校時代を含めると創立から約90年の歴史を有する名門進学校である。

高野山真言宗大僧正である平岡宕峯により1932年(昭和7年)創立された、大阪電気学校の堺分校を前身とする[1]。高校の電気科に加え、1948年(昭和23年)に高校普通科を設置、中学校を併設する。

1949年、当時の大阪府知事赤間文三により、幕末の長州藩の藩政改革者村田清風に因んで「清風」と名づけられた。創設者の平岡宕峯は当時名だたる企業改革の仕掛け人であったため、村田清風の名前を頂いた。

1954年には商業科を設置しているが、その後電気科・商業科の募集を中止している。

仏教を中心とした宗教教育を実践している。
組織

理事長 兼 学園長 -
平岡英信(平岡宕峯の長男)

法人専務理事 兼 校長 - 平岡宏一(宕峯の孫・英信の長男)

法人本部長 兼 副校長 - 平岡弘章(宕峯の孫・英信の次男)

沿革

1932年(昭和7年)7月 - 大阪電気学校(電気科)として設立。

1937年(昭和12年)4月 - 堺市に大阪電気学校堺分校(電気科・機械科)を開校。

1945年(昭和20年)

2月 - 中等学校令により、大阪電気学校堺分校を母体とする財団法人浅香山電気工業学校(電気科・機械科)を堺市に設立。募集は男子のみ。

6月 - 堺空襲により校舎焼失。

7月 - 堺市錦西小学校へ移転。


1946年(昭和21年)4月 - 大阪市逢坂小学校へ移転。

1948年(昭和23年)

4月 - 学制改革により浅香山電気工業学校は浅香山電気工業高等学校と名称変更し昇格認可。電気科に加え普通科を設置。募集は男子のみ。

8月 - 浅香山高等学校と改称し、校祖が伊勢神宮へ満願の日に大阪市天王寺区石ヶ辻町(現在地)を手に入れ、移転。

10月 - 高等学校に定時制課程(普通科・電気科・商業科)を設置。男女共学。


1949年(昭和24年)1月 - 当時の大阪府知事の命名により、学校名を浅香山から「清風」と改称。

1951年(昭和26年)3月 - 私立学校法に基づいて、学校法人清風学園と改組。

1954年(昭和29年)4月 - 全日制に商業科を設置。

2006年(平成18年)11月 - 11月2日付の朝刊で「履修漏れ」の報道がなされた。芸術鑑賞への参加を芸術の1単位としていたことが発覚し、その年の2、3年生全員が補習を受けることになった。

2018年(平成30年)6月 - 生徒心得(校則)を一部改定。大阪府北部地震を受けて、校内への生徒の携帯端末の持ち込みを生活指導部への必要書類の提出と、校内での使用の制限のもと許可した。(届出のない、私用のスマートフォンの持ち込みなどは禁止。)

教育方針

建学の精神 - 徳・健・財、三拍子そろった姿でルールを守り、世の中のために尽くす人間となるために勤勉努力する理想的な人物を育成する。

教育方針 - 勤勉と責任とを重んじ、自立的精神を養うと共に明朗にして誠実、常に希望の中に幸福を見出し、社会のすべてから「安心」と「尊敬」と「信頼」の対象となり、信用され得る人物を育成するため(清風魂の獲得)、仏教を中心とした宗教による教育を実施する。

清風魂 - 清風魂とは、社会の全てから安心と尊敬と信頼される人物になるという目標を、実行させる精神力であり、実現する魂である。
正しい判断力を育成し、鋭い断行力を養う。

先祖伝来の宗教を中心に敬神崇祖の念を養い、信仰心を確立し、信念と不屈の精神力を身につけること。

常に節制を守り、体力の練磨向上を計り、徹底した精進努力をすること。

礼節を重んじ、父母を大切にし、先祖に感謝し、年長者や先生を尊敬すること。

素行を正しくして、常に正確な予算生活の実行者となること。

常に自利利他・福の神のコースを脱線せぬよう心がけ、急がず、息まずの心構えで勤勉努力を続けること。


仏教中心の宗教による教育

教育方針にも高野山真言宗の教えをベースに、「仏教を中心とした宗教による教育を行う」ことや「仏教の戒律を守る精神に基づき、ルールを守る大切さを体得させる」ことを掲げている。
清風カット

最近、報道メディアなどで取り上げられた校則のこと。一部の生徒が、大阪弁護士会に対し人権救済を申し立てている。訴えを起こした生徒は、この校則を「普通の高校生がしている髪形。それすらできないのがうちの学校なんです」と批判している。清風中学校・高等学校に通っている生徒の一部は、この校則のことを「ブラック校則」と呼んでいる。だがその一方で、「自分で選んで入学しているのでとやかく言うのは違う」や「慣れれば不自由はない」などの意見もある。
なお、池谷幸雄は「同期の友人の中には40年以上一貫して清風カットの愛用者が居る」とスッキリでコメントしている。[2]
大阪弁護士会は2023年3月に、髪が伸びている生徒に対して教員が無理矢理刈り上げたりすることなどが人権侵害に相当するとして、清風学園に対し改善勧告を出した。一方で、清風カットに関する校則については、「違憲・無効と断じることはできない」とした[3]
学校生活
朝礼

毎朝8時35分より実施される。内容は黙想、般若心経の読経、学校長・学園長・副校長の訓話、(毎週水曜日は学園長による腹式呼吸、暗示)、クラブ活動等の連絡するための収集である。雨天時は、放送にて教室で行われるが、小雨では運動場で行うこともある。その後、担任によるホームルーム約5分(内容は晴天時と同じ)。また、石井慧ダライ・ラマ14世など、オリンピック出場者や著名人などが訪れ、訓話をすることもある。但し、2020年6月以降、新型コロナウイルス感染症対策として、原則各教室にて朝礼が執り行われるよう変更された。般若心経は依然同様に執り行われている。

2023年9月以降、新型コロナウイルスが5類に変更になったことに伴い、高校3年生→高校2年生→高校1年生→中学生の順で日替わりで運動場での朝礼を再開した。
学友会

清風高校には生徒会は存在せず、学友会という名の組織が存在する。役職には、会長(1名)、副会長(2名)、書記(3名)がある。全校生徒による選挙は行わず、前期後期各初めの代議員会で推薦または立候補した者の中から各クラスの代議員により投票で選出される。
制服・体操服

制服は、2013年入学者からは高校はブレザー、中学は6つボタン詰襟(立折襟)の独自デザインに変更された。ともに安藤彰彦デザイン。高校生のブレザーの上着胸元には校章に「SEIFU 1945」と書かれたエンブレムが縫い付けられており、ネクタイの色で学年を判別する。中学生は襟につける校章バッジの色で学年が判別できる。

2012年までの入学者の制服は高校・中学とも統一デザインのブレザーである。上着の胸元にはSと書かれたエンブレムが縫いつけてある。また、ネクタイは、エンジグリーンの各色が用意され、学年が識別できるようになっている。このため、学年章は着用しない。かつてはあらかじめノット(ネクタイの結び)の部分が作られたワンタッチタイプのネクタイをホックでカッターシャツに固定する方式が採用されており、いわゆる通常のネクタイは希望購入制であったが、1990年代後半の校則改正により通常のネクタイに変更された。

1989年(平成元年)までは学ラン(紺色・黒ボタン)が制服であった。

体操服は、冬用、夏用ともに胸に大きく「SEIFU」のロゴが入り、冬用長袖上着は丸首トレーナー(スウェット)タイプ、夏用半袖上着は首周りと袖口がゴムの縁取りで絞られたタイプとなる。学年の識別は、冬用がトレーナーの色、夏用が首周りと袖口のゴム、ロゴの色で判別される。

2023年(令和五年)度入学者からは制ボストンバッグが廃止され、リュックサックに変更される。尚ボストンバッグにはあった徳健財の英語表記が削除されている。
教育・研究

英語数学理科に関して、教育研究所が設置されている。課外学習としてNIE(教育に新聞を)活動がある。これは記事を題材にフィールドワークや討論を行い高度な思考能力の獲得や社会問題の理解を目指すものであると説明されている。清風高校・中学はNIE実践校として活動しており、2003年には第10回の発表会(日本新聞協会朝日新聞社・大阪府教育委員会・大阪市教育委員会主催)が「自然と人間の共生」をテーマに南校舎7階で開かれた。この学習の一環として北朝鮮による拉致被害者家族連絡会蓮池透の講演会も催された。著名人を招いて講演会を催すこともある。1997年2003年に日欧4人のノーベル賞受賞者を迎え「フォーラム21世紀の創造」が開催された。超伝導の理論の研究でノーベル賞を受賞したアンソニー・レゲット、同じくノーベル賞学者の江崎玲於奈らが講演を行っている。

2006年11月、2014年4月、2016年11月にはダライ・ラマ法王による法話会が開かれた。

また、学習面において、自習用教室を開放したり進路指導や長期休暇中は前・後期の補習講座や勉強合宿等で学力の向上を図っている。クラスのコース変更は一年に一回行われ、3か年の場合、文理コースの成績優秀者は理数コースへの転科が認められている。理数コースへ転科した場合は、原則全員が国公立大学進学を目指すことになっている。その分、学習環境は予備校を必要としない、問題演習が豊富なカリキュラムである。

そして、特に力を入れている活動について、読書論文指導部があり、その特別講師の先生方による読書感想文、小論文の添削を定期的におこない、推薦入試や、自己推薦型入試(AO入試)等の対策をしている。

その他、保護者との連携について、原則年3回保護者会・個人懇談会を開催し各家庭とは連絡を密にとって生徒の指導に役立てている。
学科・コース
3か年(高校入学教育)

理V6か年編入コース(高校2年次より理V6か年コースに編入)
[注釈 1]

理数コース

文理コース[注釈 2]

6か年(中高一貫教育)

理V6か年コース(東京大学、京都大学をはじめとする難関国立大学や国公立大学医学部進学を目指すコース)

理U6か年コース(難関国公立大学進学を目指すコース)

理T6か年コース(国公立大学や難関私立大学進学を目指すコース)

国際6か年コース

コースは実力テストや定期試験などの成績により学年進級時に入れ替えがある。
施設南校舎中央館桃丘歩道橋

施設は、北館(旧北校舎)(5階一部7階建て・1962年および1968年落成・2003年改築)・総合体育館(地下1階地上3階建て・1983年落成)・中央館(7階建て・2016年秋完成)と、片側2車線の道路を挟んで真向かいにある南館(旧南校舎)(地下1階地上7階建て・1982年落成)で構成されている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:85 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef