清澄山
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清澄寺

大堂
所在地千葉県鴨川市清澄322-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度9分39.4秒 東経140度9分5秒 / 北緯35.160944度 東経140.15139度 / 35.160944; 140.15139座標: 北緯35度9分39.4秒 東経140度9分5秒 / 北緯35.160944度 東経140.15139度 / 35.160944; 140.15139
山号千光山
宗派日蓮宗
寺格大本山(霊蹟寺院)
本尊十界曼荼羅
創建年伝 771年(宝亀2年)
開山伝 不思議法師
正式名千光山清澄寺
札所等安房国札三十四観音霊場17番
東国花の寺百ヶ寺千葉11番
文化財清澄寺中門 他
公式サイト ⇒大本山清澄寺オフィシャルサイト
法人番号1040005015856
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清澄寺摩尼殿虚空蔵菩薩

清澄寺(せいちょうじ)は、千葉県鴨川市清澄にある日蓮宗大本山山号は千光山。日蓮出家得度および立教開宗した寺とされ、総本山久遠寺・大本山池上本門寺・大本山誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれる[1]
概要

寺の縁起によれば、旅の僧(聖僧)が当地を訪れて虚空蔵菩薩を祀る一寺を建立し、山岳信仰霊場となったという。僧の素性は不明で、「不思議法師」と呼ばれた。山頂近くに古いの木があり怪しく千光を発していたことから山号を千光山とし、柏の木の下に水の涸れた池があって、加持すると清泉がたちまちに沸いたことから寺号を清澄寺としたという。かつては12坊25堂を構える天台宗の巨刹として栄えたが、1618年(元和4年)には徳川秀忠の命により智積院の頼勢が入寺し真言宗に改宗された。この時、朱印500石と十万石格式が与えられ併せて独礼寺格も有する事となった。また醍醐三宝院門跡の関東別院に定められ、十六葉菊紋の使用と駆け込み罪人の特赦が認められた。その後1949年(昭和24年)2月16日に日蓮宗に改宗し、以後大本山として威容を整えている。
地理

清澄山(きよすみやま)の主峰は標高377mの妙見山で、千葉県で3番目に高い山である[2]。本堂付近の標高は約310メートルで境内全域が南房総国定公園に含まれており、北斜面には暖帯性、南斜面には亜熱帯性の植物が自生する植物分布の境界となっている。また、安房・上総の分水界にもなっており、養老川小櫃川は清澄山に源流を有している。地質学的には新第三紀に形成され、泥板岩や砂岩で構成されている。境内の一部である旭が森は富士山を除いて本土で一番早く初日の出が拝める場所(犬吠埼より早い)である。なお、境内の近隣には東京大学農学部演習林があり、東京帝国大学教授で日本初の林学博士である本多静六は『造林實習日誌』の中で“明治神宮造営に関係して全国の社寺の風致林を見て歩いたが、そのうえでも特に清澄寺の風致林は模範的なものであった”と評している。[3]
歴史

771年 (宝亀2年) 不思議法師が訪れて虚空蔵菩薩を祀り開山する

836年 (承和3年) 慈覚大師円仁が訪れて再興し、天台宗となる

1096年(嘉保3年) による火災で堂宇が焼失し国守の源親元が再建する

1157年(嘉禄元年)北条政子が千日講を催し、宝塔輪蔵が造立されたほか大蔵経4000巻余が納経される

1233年(天福元年)善日麿(後の日蓮)が入山、名を薬王丸と改める

1237年(嘉禎3年) 道善房を師として薬王丸が出家、名を是聖房蓮長と改める

1253年(建長5年) 名を蓮長から日蓮へと改め、旭が森で題目を初唱し説法会を開く(立教開宗)

1276年(建治2年) 道善房が遷化、日蓮が『報恩抄』を著し墓前に供える

1387年(至徳4年) 三宝院の弘賢が清澄寺の別當職に就く

1392年(明徳3年) 梵鐘を鋳造する

1424年(応永31年)石幢を建立する

1618年(元和4年) 智積院の頼勢が徳川秀忠の命により入寺し、真言宗に改宗する

1647年(正保4年) 中門を建立する

1682年(天和2年) 本堂(摩尼殿)を建立する

1717年(享保2年) 八事山興正寺開山・天瑞圓照が虚空蔵菩薩像を奉納する

1837年(天保8年) 中門を改修する

1863年(文久3年) 仁王門を建立する

1880年(明治13年)観音堂を再興する

1920年(大正9年) 真言宗智山派清澄寺30世・玉瀧義秀が法華山門不入を解き、盛大に立教開宗会を催す

1923年(大正12年)日蓮聖人銅像を建立する

1949年(昭和24年)真言宗智山派清澄寺31世・岩村義運が末寺45ヶ寺と袂を分かち、日蓮宗に改宗する

1952年(昭和27年)清澄寺特別大本願人・日野隆司の発願により信育道場が建立される

1962年(昭和37年)清澄寺大本願人・西田志満の発願により報恩殿が建立される

1973年(昭和48年)祖師堂を建立する

1981年(昭和56年)宝物殿を建立する

1993年(平成5年) 日蓮聖人銅像を修復する

1995年(平成7年) 鐘楼堂を建立する

1999年(平成11年)信育道場を再建する

2017年(平成29年)本院を改修する

日蓮大聖人得度開宗之霊場

1222年(承久4年)2月16日[注 1]日蓮安房国長狭郡東条郷(現・千葉県鴨川市小湊)で生まれた[注 2]。善日麿と名付けられた日蓮は、12歳になると清澄寺に預けられ薬王丸と改名、住僧・道善房に師事して16歳で出家得度し是聖房蓮長の名を授かった[注 3]。本尊の虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給へ」と祈願した日蓮は[注 4]鎌倉京都比叡山高野山天王寺などへ遊学、清澄寺に戻った時には32歳となっていた[注 5]

1253年(建長5年)4月28日、清澄寺で帰山報告を兼ねた説法会を行った日蓮は、文献を基に浄土宗を批判し法華経が最も優れた経典と語った。この説法は念仏信者の反発を呼び、日蓮を捕える動きがあったが、師・道善房や兄弟子の浄顕房・義浄房らの助けによって日蓮は安房国を脱した[注 6]後世の伝記によればこの日の朝、日蓮は旭が森に登り、朝日に向かって題目南無妙法蓮華経」を唱えたとされ、日蓮宗では4月28日を記念して立教開宗の日としている。また日蓮はこの後、蓮長から日蓮へと名を改めている[7][8]

1276年(建治2年)3月16日、師・道善房が没した。


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